
【楽しんでも苦しんでも人生はただ一回きり】
こどもたちはいつの頃から「人生とはつらいことが多い、大変な苦行だ」と考えるようになるのでしょう。
徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」という言葉などを聞かされ、それを理解できるようになる頃からでしょうか。
または、両親がいろいろと苦労しているようすを見て、そう感じるようになるのかもしれませんおかあさんからはいろいろと言い聞かされることでしょう。「勉強しないとおとなになったときに苦労する」といったことは一度ならず聞かされているはずです。
そして、本来なら学ぶ楽しみを知るべき学校に行くことも「つらいこと」になってしまうこともあるでしょう。結果として、その延長線上にある、高校、大学進学や就職も苦行になってしまうのです。
いろいろな学問を勉強できること、仕事を持って働けることは、本来、喜びであるべきことです。それを、「イヤだけどやらねばならないこと」と考えるために「苦行」になってしまうでしょう。
そこに楽しみを見つければ、勉強も仕事も、自分の存在意義を実現する無上の喜びになるはずです。
人生も「つらいもの」と考えるのではなく、「遊び」と考えてみたらどうでしょう。「人生ゲーム」というボードゲームの話をしましたが、まさに学び、働き、不動産を買い、保険金をもらい、とじっさいの人生ゲームそのものです。
うまくいくこともあるし、そうではないこともありますが、最初からゲームだと割り切っていれば、つぎにうまくやればいい、という発想ができます。
遊びだからといっていい加減にするのではなく、本気で取り組みます。そこに余裕を持つということです。余裕ができれば自然体になり、それまでうまくいかなかったこともスムーズにいったりします。
子どもたちもそんな親を見ていれば、勉強や学校を楽しめるようになります。なにより人生をポジティブに見ることができるようになり、さらに可能性が広がるでしょう。
楽しむときも徹底して楽しみ、仕事の大変さも日常の不運もいつかよくなると考える遊びの人生のほうが、豊かなものになるのではないでしょうか。
【生命保険の保険料は自分では使えないことを知る】
–この世に生きていることに感動する–
断然たる事実なのに、だれもが目を背けようとしたり、忘れようと努力していることがあります。それは、自分がいつかは死ぬということです。
そんなことわかりきっているから気にしないのだという反論があるかもしれません。それでは、最近購入した自分にとっての高価な宝物は、いつまでそれを使ったり楽しんだりできると考えているでしょうか。明日、交通事故で死ぬかもしれない、と考えて、それを購入したでしょうか。
恐らく、少なくともあと何年か、できればあと何十年かは自分が元気に生活しているという前提で趣味のものなどを買ったり、大切に保管していることと思います。
生命保険は、死亡保障いくらくらいあればいい、といったことを考慮して加入しますが、その金額は、まるで自分が生きて生活しているかのように考えて決めていないでしょうか。
「今、月に二十万円で生活しているから、4000万円もあれば子どもが成人するまで暮らしていけるだろう」とか。
ところが、その20万円には自分の食費や雑費が含まれているのです。
つまり、自分が死んだら、自分が死んだら、自分の分の食費などが減って、残された家族は恐らく月に17万円程度で生活できることを忘れているのです。
もちろん、いつ死ぬかはわからない、だからといって毎日、死についって考えようというわけではありません。
その反対に、毎日、生があることを感謝し、感動しよう、と言いたいのです。
たとえば、愛車が汚れてきたから今度の日曜日にゆっく洗車とワックスがけをしよう、と考えたとき、もし、その次の日曜日にはもう自分が死んでいるかも知れない、としたら、日曜日には家族みんなでいっしょに過ごすことも考えたほうがいいのではないでしょうか。
洗車は金曜日にでもガソリンスタンドに依頼しておけばいいのです。または、日曜日の朝に軽く水洗いするくらいで、そのまま家族でドライブにでもいけばいいのです。
日々、生があること、愛する家族がいることに感謝し、そして、うまく時間を配分すれば、もっと家族といっしょに感動を分かち合えることに気づきたいものです。