
老化現象が進んだ人も「捨てられない人」だが、心がストレスだらけになっている人も、やはりそうである。捨てられない。
働きすぎて、ちょっとお疲れなのではありませんか。
毎日残業続きではありませんか。休日出勤までしているのではありませんか。
人間関係で悩み事があるのではありませんか。
そうとうムリをしているのではありませんか。
思い当たることがある人は、自分の身の回りを見渡してみればいい。要らないものは、そこらじゅうに散乱しているのではありませんか。
その散乱したモノを片づけるにも、片づける気力が出てこないといった状態なのではありませんか。
いい換えれば「捨てられなくなる」「片づけられなくなる」というのがひとつのバロメーターになる。
「忙しくて、整理している暇がないんですよ」という人もいるが、おそらく、ただ忙しいからだけの理由ではない。
忙しすぎて、そのストレスのために気力がなえている、心身が衰えてきている兆候が出てきているのだ。
「捨てられなくなる」「片づけられなくなる」は、「いまのままの状態を放っておくと、たいへんな病気になってしまいますよ、怖いですよ」というシグナルでもある。
要注意。ムリをすることをやめることである。休日には、しっかり休むこと。あまり思い込まないことである。
そうやって、「きょうはゴミの日だったな。要らないモノは捨てるとするか」という気持ちが自然にわいてきたときには、まあ、心に溜まっていたストレスもかなり解消されてきた証しとなる。
自分の身の回りが、いつもきれいに整理整頓されている状態にある。要らないモノが散らかっていることもない。それは心身ともに、いま自分は健康であるという証しでもあるのだ。
自分の身の回りを見て、自分で自分の健康チェックをすることもできる。しかも、いつでもできる。お金もかからない。
日頃の手軽な健康チェックとして、きょうから「捨てる」「片づける」を実践してみよう。
3章 仕事ができる人には「捨てる習慣」がある
モノを捨てられない人、私の人間観察
「40歳すぎたら、自分の顔に責任をもて」といわれる。
若いうちは、いいのだ。やる気がない人であっても、まだ瞳はキラキラと輝く。だらしのない暮らしをしている人であっても、肌はツヤツヤとしている。内面的なものも、暮らしぶりも、若さでなんとかカバーできる。
ところが40すぎると、そうはいかなくなる。
隠せないのはシワやシミばかりではない。その人の内面性や生活面も隠せなくなるのだから、怖い。
やる気のない人の瞳は、生きているのか死んでいるのかわからないような感じとなり、だらしのない暮らしをしている人の肌も、それなりに色つやが悪くなる。
その人の顔に、その人がどんな考えをしているか、どんな生活をしているかが浮かび上がってくる。
だから「40歳すぎたら、自分の顔に責任をもて」なのだ。それまで自分がどうやって生きてきたかが、顔に現れてしまう。顔は怖い、そう心得よ。
ところで私は、「40過ぎたら、自分の仕事机の上に責任をもて」ともいいたい。
仕事机の上も、あなたの顔と同じである。やはり、いま何を考えているか、どういう暮らしをしているのか、が自然と現れてくる。
ある上司がいっていたが、たとえば「こんな仕事、やってられるか」と不満をもっている部下の机の上は乱雑になりがちだという。いくら注意をしても片付けられない。
自分の身の回りを散らかすという行為は、一種の反抗心の表われだそうだ。
また私生活が乱れがちな人の仕事机も、やはり乱れがち。何があったのか知らないが心が上の空状態で、整理整頓どころではなくなっている証しなのだという。
この上司、なかなかの心理学者のようであるが、私も「捨てられない人」「片づけられない人」の心理学的な人間観察を、いくつか述べてみたい。
私の見るところ、「仕事机の上に不要なモノがいっぱい散乱し、それを捨てたり片付けたりする様子もなく、ほったらかしにし、平気でゴチャゴチャした机」で仕事をしているような人は…箇条書きにしておく。
◉捨てられない人は、集中力がない人。
◉捨てられない人は、もの忘れが多い人。
◉捨てられない人は、いつもバタバタの人。
◉捨てられない人は、甘えん坊の人。
◉捨てられない人は、人間関係がヘタな人。
…さて、私なりにこう思う理由を述べる。
「ここぞというとき」仕事に集中するために、捨てる
仕事机の上がいつも散らかっている人は、あきっぽい人だ。集中力が長続きしない人であり、そのせいで仕事にふり回され、日々忙しい人である。
パソコンに営業経費の数字を入力しているときに、チラッと横を見ればお昼休みにコンビニで買ってきた雑誌に人気俳優の記事が目に入る。「どれどれそれで、どんな内容なんだろう」としばし、雑誌に読みふけっているところへ、「○○さん、ちょっと」と上司に呼ばれる。
さて再び自分の机に戻ってきて、気を取り直して「仕事、しなくちゃ」。しかしパソコンへの入力業務をさっきどこまでやったのか、どこから始めればいいのかわからない。「えーと…」と資料とパソコンの画面を見比べているときに、机の横のほうに置いてあったペットボトルを手に引っかけてひっくり返す。
あれ? あれあれ…で、また始めからやり直しとなり、とても忙しいのである。ドジな人は大忙し…で、仕事は一向にはかどらない。仕事に集中できるわけもない。
職場には、たくさんの人がいる。四方八方から話し声が聞こえてくる。上司に呼ばれる。急な仕事を任される。電話は鳴る。突然の訪問者もある。それでなくても気が散る環境ではある。だからこそ、ここぞというときは集中してどんどん仕事を進めてゆかなければ、あっという間に日が暮れるのだ。
そんな「ここぞというとき」に、それでなくても気が散りやすい職場において、みずから仕事机の上を散らかして仕事に集中できない環境を作っているのだから、困る。
仕事に集中するためにも、仕事机の上から不要なモノは一掃せよ、だ。昼休みに読んだ雑誌など、仕事が始まる前に捨ててしまうこと。
雑誌のほかにも、捨てていいものがたくさん机に積み上がっているのではありませんか。この際、ぜんぶ捨ててしまいなさい。「ドジな人」の要因となるようなモノは、自分の周りから極力排除してしまうこと。
仕事が出来る人は、いつも身の回りをきれいさっぱりとしている。いってみれば「仕事への準備」ができている。
働きやすい職場環境のためにも、捨てる
職場の休憩室に、ひと月もふた月も前の、ときには半年近く以前の雑誌までが積み上がっている光景を見かけることがある。
だれかが読んで、ほかに読む人がいるかもしれないと思ってそこに置いてゆくのだろうが、そのような気遣いは不要なのではないか。自分が読みおわったら捨てればよい。そうでないと休憩所が古紙置場になってゆく。
また、だれも読まない雑誌が積み上がっているのだから、気づいた人が捨てればいいと思うのだが、だれもが、見て見ないふり。
仕事机のように自分専用の場にあるモノであれば、自分の判断で捨てることができる。しかし休憩室のように共有の場にあるモノは、自分の判断で捨てていいのか悪いのか迷うということなのかもしれぬ。
これはある意味、上司の仕事なのではないか。
共有の場に積み上がっている不要なモノは、上司が責任をもって捨てる、あるいは捨てるように指示をする。
傘置き場に溜まっている、だれのものかもわからぬ傘しかり。
コピー機の横に置いてある、これもだれのものかもわからなくなった国語辞典しかり。
ロッカーの上に置いてある、使い道のない資料の山しかり。
ときどき職場を巡回してみて、こういった不要なモノを処分する。
そういう仕事は部下に任されても、部下は判断に困る。それよりも、ここは上司の判断で、さっさと捨ててゆくこと。これも社員に働きやすい環境を作る、上司の仕事であろうと思うからだ。