Pocket

button-only@2x 長く会っていない友達と会う

【忘れていた自分のよいところを掘り起こす】

子どものころから「友だちは大切にしなさい」と言われてきました。確かに友だちは大切なのですが、環境の変化というものがあります。幼稚園、小学校時代と進み、引越をすることがあったり、そして大学進学、社会人となると、友だちのつきあいの範囲も大きく変化します。

また、住んでいるところが大きく変わったりすると、子ども時代の友だちと会う機会がなくなったりもします。小学校時代、中学校時代と、親友と呼べる友だちがいても、遠いところにいては会うこともままなりません。

しばらく会っていないけれど、会おうと思えば会えるという、昔の友だちがいることは、かなり恵まれているといえるでしょう。

なぜならば、昔の友だちは自分のタイムカプセルであり、鏡となるからです。だれでも、自分の出発点となるところがあると思いますが、その出発点は、自分では忘れているものです。

若い頃の自分が何を思っていたのかということは、意外に、その頃の友人が克明に覚えているものなのです。それによって、自分がその頃どんなことを考えていたか、何を言っていたかがわかります。

長く会っていない友人に連絡を取るのは気恥ずかしいものですが、新しい自分を見つけたいと思うのであれば、ぜひチャレンジしてみるべきでしょう。

会わなかった期間の自分のこともしっかり理解してくれるような親友であれば、必ず何かヒントを与えてくれるはずです。

さらにもうひとつ、長く会っていない友人が与えてくれるのは、自分がどれほど年を取ったかということです。

年を取ったこと自体が何かを意識するわけではありませんが、そういう年齢になったのだなという自覚を与えてくれます。

友人の外見的な変化を見ることで、無理をせず、自然に任せた年の取り方があっていいのだろうと自覚されてくれます。

忙しい毎日でしょうが、少し落ち着いた時期があったから、昔の友人に声をかけてみてはいかがでしょうか。

button-only@2x 長く会っていない友達と会う

【会えなくても電話で話す】

肉声のコミュニケーションが大事

今や、携帯電話でのメールのやりとりが若い人たちのみならず、主婦や会社員の間でも一般的になっています。パソコンを立ち上げないと見られないメールと違って、届けば即座にわかることが重宝がられています。

今後、テレビ電話のように相手の顔を見ながら電話で話すこともふつうになりますから、コミュニケーションの手段はより豊富になっていくでしょう。

とりあえず、通常の電話でも長年会っていない遠くの友人に、たまには連絡を取ってみるのもいいでしょう。

年賀状などのやりとりでは、「元気です」と書かれていても、どのくらい元気なのかはわかりません。

元気は元気だけれど、仕事が忙し過ぎて過労気味かもしれません。とくに用件がなくても、「声が聞きたかった」と電話をして嫌がる人はいないでしょう。そこから、「今度、おいしいものでも送るよ」といった話に発展させればいいわけで、電話をする理由など必要ありません。

古い友人と話すことは、電話を通してもやはり、自分のカウンセリングになります。

最近の人間関係や仕事関係でストレスが溜まっているときなど、昔懐かしい声が不思議な活力の元になるのです。

以前考えていたこと、あのとき抱いていた夢、やろうと思っていたこと、そしてそれに対して現在の自分の状況が、客観的に見えてくるのです。

もうひとつは、「あのときはうまくいったね」「本当に面白かったよ」といった話は、自分が忘れかけていた「うまくいった経験」の感覚を甦らせてくれます。

面白いもので、自分が記憶している経験と友人たちが記憶している経験は、同じことのはずなのに微妙に違っている経験と友人たちが記憶している経験は、同じことのはずなのに微妙に違っていることがよくあります。自分のほうが、記憶をごちゃ混ぜにしていたことに気づかされることもあります。

記憶というものは、そういうふうに変化し、自分に都合のいい部分だけ残っていたりしますから、古い友人の話で経験を検証するという意味もあります。

長話になりそうだったら、相手にも迷惑になるといけないので「じゃあ、続きを手紙に書いて送るよ」と電話を締めくくて、今度は手紙のやりとりに移ればよいのです。

今の若い人ならメールということになるでしょう。

button-only@2x 長く会っていない友達と会う

【そこにいる人と話す】

聞くほうにも話すほうにも効果がある

ストレスが溜まると「グチ」をこぼしたくなる人が多いことを見ても明らかですが、「話す」ということ自体が非常に効果的なストレス解消法です。とくに、話し相手がよく話を聞いてくれる人だと、話し終わった時点でストレスはどこかに雲散霧消(うんさんむしょう)してしまうほどです。

カウンセリングやセラピストというものは相談に乗るのではなく、ほとんどが聞き役に回る商売です。話し手は、話し終わったときに、「そうか、そうすればいいんですね」と自分で解決方法に気づいてしまうこともあります。

話し相手になる友人も家族も、手近にいないときには、「そこにいる人」と話すという方法があります。『フォレスト・ガンプ』というアメリカ映画ではトム・ハンクスが演じる主人公のフォレストが、バス停で隣に座った通りすがりの複数の人に、自分の半生を語って聞かせますが、みんなフォレストの話を興味深く聞きます。

フォレストは語ることで癒され、通りすがりの人は聞くことで癒されているのです。

もっとも、話の内容が非常に興味深いものではありますが。

日本でも、昔はたまたま隣に座った人や道ばたで会った人と、いろいろな話をしたものです。今でも、地方に行くと「どこからきたのかね」と人なつこく話かけてくる人がいます。

とにかく「そこにいる人」と当たり障りのない話をすることは、双方とも癒されるというわけです。

時には嫁の悪口ばかりを言うおばあさんなどに当たることもありますが、そういうときは不運とあきらめることです。

都会で公園にいる人などに話しかけると、セールスかなにかではないかと警戒されることもあるでしょうが、「お天気でいいので日光消毒しにでてきたんです」などととりとめのない話をすればいいでしょう。

スポーツの話題なども、当たり障りがなくていいし、「うちの娘が…」という話でもいいのです。ただ、相手のほうが話をしたがっていたら、自分が話したい気持ちを抑えて、話を聞いてあげなければなりませんが。