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button-only@2x 毎日一つでもよいから感動をもつ

【人生の「感動計画」を立てる】

— 心のアンテナは、計画的に磨き上げる —

日々、感動するのにもっとも手軽で健康的な方法があります。それは、毎日の朝日を拝むことです。天気さえよければ、昇る朝日は必ず感動をもたらします。雲間から現れる朝日は、絵画のようです。毎日見ていても、雲の形やかすみのたなびき方、青空の色の深みや、太陽光の温かさが違っていて、つねに新鮮な気分になれます。

これで、感動できるばかりでなく早起きもできるし、一日の時間が有効に使えることもメリットです。感動することは、心に新しいエネルギーをもたらします。朝日を見ていれば「やる気」もふつふつと湧いてくるはずです。

心の感動のアンテナを磨くことで、他のことにも感動できるようになります。たとえば木々の緑の移ろいや、小鳥たちのしぐさ、朝から働く人々への敬意、これからの一日への思いなどなど。

感動は、偶然にできるものではありません。朝日をみることひとつひとつとっても、日の出の時間を確かめてタイミングよく起きなければならないのです。計画性が必要な証拠に、正月に初日の日の出を拝もうと思っていて、前夜夜更かしして見損なった経験があるのではないでしょうか。目覚まし時計をかけておかなければ、まず、見逃してしまいます。

感動の人生にしようと思ったら、もう少し高度な計画が必要です。さまざまな感動を得ている人、たとえば、登山をする人にしても起業する人にしても、また、子どもをたくさん育てている人にしても、きちんとした計画がなければその結果としての感動は、得られないのです。

そこで、一年後、三年後の自分がなにをしているか、計画をして準備をします。もし、会社勤めだとしても、プライベートでなにかを仕掛けるのです。

それは、パソコンスクールに通うことでもいいし、英会話でもいいでしょう。大学の講義などを受けるチャンスも増えて、社会人にもさまざまな自分磨きの場が広がっています。

難関資格に挑戦するというのもひとつの選択です。

とにかく、一年間のスケジュールを立てましょう。自分に何ができるかわからない?それなら、まずカルチャースクールなどで行っている適正テストを受けるといいでしょう。きっと、自分に合った、感動できそうなことが見つかるはずです。

まずは計画を立てる、それが感動の第一歩です。

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【「計画」の変更も頭に入れておく】

— 「計画」通りに行かないのが人生なので —

「感動の計画」はできあがったでしょうか。簡単なものなら五分もあればできます。たとえば、「三年後に自分はニューヨークでアパート住まいをして、大学に聴講生として通う」、そのために英会話スクールに通う、資金をこうやって作る、といったラフなものでいいのです。

ただし、人生は思い通りに行かないのですから、「計画」もその通りには進まないものです。途中でいろいろと問題が起こって変更が必要になるかも知れません。そのときには、臨機応変に対応すればいいのです。

中には、計画通りに進まないことがストレスになる人もいます。そういうときには、「ゼロ思考」でゼロ地点に戻せばいいのです。あまり「何歳までに」などと限定せず、無理をしないことが「計画」の基本です。

場合によっては、ほかの「計画」を間に挟んでもいいのです。計画通りに進まないということは、他に、すぐにとりかからなければならないことができた、ということですから、そちらを先に解決計画を立てればいいのです。

ただし、自分の身が自由にならないとしても、きちんと進めなければならないのが資金計画です。当初の計画を延期したとしても、改めて取りかかれる状態になったら資金がない、というのではなにもできません。いかに忙しくても、資金だけは予定通り作らねばなりません。

計画を延期するうちに、当初の計画とは別のことに関心が移ることもあります。そのときには、また別の計画を立てて、資金はそちらに回せばいいのです。「計画」は感動を得るために実行するのですから、中身は何でもいいわけです。

いずれにしても、自分が自由に動けるようになったときに資金がまったくなければなにもできません。

「感動の計画」でもひとつ大事なことがあります。それは、計画がうまく行きはじめて、実現の見通しが立ったら、次の計画を考えることです。進行中の計画を踏まえて、「次はパリに行こう」といった漠然とした目標でいいので、第二、第三の計画を立てます。なぜなら、最初の計画が実現して、一通り感動を味わうと、そのあと目的を失い無気力状態になってしまうことがあるからです。

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【美しいものを見に行く】

— 美しいものは心を豊かにする。 —

成功するためのイメージを得るためには、うまくいったことを思い出すことが効果的ですが、清らかな感動を得るためにも、美しいイメージを心に焼き付けることがもっとも効果的です。

ひとことで「美しい」といってもあいまいな言葉で、人によって異なり、時代によっても変化します。日本の平安時代には、今で言う「おかめ」のような顔をした女性や中国の唐の時代では太った女性ががもっとも美しいとされていたらしい、という話があるように「美しさ」は絶対的なものではないのです。

けれども、恐らくギリシャ時代から美しいとされてきたヴィーナス像のようなものや日没の西の空の色のがさまざまに変化するさまなどは、時代を超えて美しいと言えるものでしょう。

絵画などの芸術は、心は惹かれるものを見ておくと、自分の「美しさ」に対する基準になるような気もします。ルノワールが美しいと思う人がいれば、レンブランドがいちばんいい、と思う人もいます。どちらもその人の心に似合った美しさがあるのです。

自然の美しさは、地球ができて以来変わらないものです。真っ青な大海原に沸き立つ雲や、色とりどりの紅葉に燃えるような山々は、誰が見ても美しいことを否定できないでしょう。

そういった芸術や自然への感性を磨くことで、人間や人生に対する「美意識」の価値観も変化すると思います。

たとえば、身近な女性を、ふだんは特別な気持ちは抱いていなかったのに、ある時、優しい言葉をかけられた瞬間にヴィーナス像のように目に映る、ということもあります。いい例が看護婦(女性の看護師ですね)さんたちで、病院で優しくしてもらうと本当に天使のように見えるものです。

相手をどのように見るかということも、「美意識」とそのときの感覚が合体したものだということです。つまり、ふだんから美しいものをたくさん見れば、人も人生も違って見えてくるといえるでしょう。

遠くの観光地に出かけなくても、日の出や日没、真っ青な空、そして真剣に働く人々の表情の中に「美しいもの」はたくさん潜んでいます。