日本人はおしゃれが下手だとか、ファッションに個性がないといわれている。私もそちらに疎いほうだから声高にいえた筋合いではないが、たしかにその通りだと思う。
海外旅行から帰るたびに、私はそれを実感する。
ニューヨークにいてもパリを歩いても、どんなスタイルが当地で流行しているのか、私にはわからない。なのに東京に戻ったとたん、「昔ふうのパンタロンが復活したな」などと嫌でもわかってしまうのである。
それだけ、だれもが同じ格好をしているわけだ。
外国にも流行はもちろんあるのだろうが、みんな自分なりにアレンジして着こなす。
だから個性的だ。流行に乗るのでなく、流行をアレンジするほうに頭を使う。だから、おしゃれがうまくなる。
日本では、おしゃれ感覚がもっとも伸びる10代に、制服を強制する。それが悪いという説もある。いずれにしても、おしゃれ下手で投個性的な私たちの典型が、外国のビジネスマンを驚かせるという、霞が関のドブネズミルックだろう。
シャツ一枚から始まる「自信訓練」
そこで私が思い出すのは、俳優の加山雄三さんである。
テレビなどで男性芸能人のタキシード姿を見たら、シャツの襟に注目してほしい。おそらく、ほとんどが堅い前折れの襟つきシャツのはずだ。それが近年の流行だからである。しかし加山さんは、頑として流行のシャツを着ない。
これがけっこう新鮮に見えるのである。
そして、おしゃれの原点は、ここにあるように思える。ビジネスマンは背広が制服のようなものだが、何か一点、そこに自分らしさを付加するのである。シャツの襟でも、ネクタイの色でもいい。
やってみると、これがけっこう簡単ではないのだ。背広や自分の顔とのコーディネートを考えなければならない。ワンパターンに陥らない工夫も必要である。
つまり、おしゃれは「頭を使う訓練」になるのだ。
さらに、人間の心理は外見によって左右される。色でいえば、寒色系の服は安定感をもたらし、暖色系の服は活動力をもたらす。「おしゃれなんて」とマンネリに安住していた脳に、新鮮な刺激を与えることができるのである。
ちなみに私の専門である心理学の立場からいうと、周囲と同じ群れに帰属している自分を確認して安心するのは、自我が発達途中にある子どもの特徴である。まわりの人間と違う自分を発見することは、精神に葛藤をもたらす。その葛藤を乗り越えてはじめて、成熟した大人になっていくのである。
「他人と同じでいい」人間の致命的な忘れ物
背広禁止のカジュアルデーを設ける会社が増えている。デパートに行くと、カジュアルデーのためのセットが売られていたりする。
そういう既成品を買って間に合わせれば、失敗はないし、手間もかからず楽である。だが、脳は少しも刺激されない。
せっかくの制度を、もっと有効に活用することができないだろうか。
本当におしゃれな人は、下着から小物まで、身につけるものすべてを自分で吟味するという。私は今の若い人は、そういうセンスをだいぶもっていると思う。だが、やはり会社という枠の中で「群れに帰属したい」という一種の幼児退行的な心理がおしゃれへの欲を抑圧しているようだ。
カジュアルデーが会社にあるのなら、その抑圧を解禁するいい機会である。大いに、自分らしさを服装で表現していただきたい。
ところが、これがまた、やり始めると簡単ではないのである。
売り場には似たような服が並び、流行に流されずに服を見つけるのも一苦労だ。服に合う靴やカバンも、専門店で探さなくてはいけない。色のバランス、素材の組み合わせも考えなければならない。
何より、自分に似合うもの、自分が好きなものを把握していなければ、自分らしさを演出することはできないのである。
すなわち自己分析が不可欠であるし、創造力も大きな要素になるだろう。他人がどんな工夫をしているかを観察する力、流行をアレンジする発想力、挑戦力に加え、バランス感覚も鍛えなければならない。
おしゃれをするということは、これだけの脳の訓練に結びつくのである。カジュアルデーの本当の利用価値も、ここにあるだろう。