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button-only@2x 「心の声」には、「自分を変えるカギ」がある

つい先日、俳優であり画家でもある片岡鶴太郎さんが出演していたNHKの番組

「スタジオパークからこんにちは」を見ていて、私は「心配するのは、ほんとうにいいことだなぁ」と再確認した。

というのも、彼は40歳を迎えることに「このままでいいんだろうか」と大いに心配した結果、黒絵に新しい生きがいを発見できたからである。

ご存じのように、片岡さんは20代のときにモノマネで脚光を浴び、30代にはいると俳優としての才能を開花させた。他方で、「心と体の贅肉(ぜいにく)を削ぎ落す」ために始めたボクシングにものめり込んだ。

しかし、そろそろ40歳というとき、七年続いた「海岸物語」というドラマが終わり、彼がセコンドをしていたボクサーの鬼塚勝也選手が引退し、彼は「何とも言えないうすら悲しさ」を感じたという。

そして、「つねに変化してきた自分だけど、もう、目まぐるしく変わる時代の流れにはついていけそうもない。これからの人生、何にをして生きていけばいいんだろう」

と、もがき苦しんだのだ。お坊さんの話を聞いたり、本を読んだり、あらゆることをしたが、出口はなかなか見つからなかったそうだ。

そんなときに、片岡さんはふと、「流れに身を任せてみよう」と考えた。ただし、彼が目指したのは「流される」消極的な生き方ではなく、「やってくる流れを正面から受け止めて、そこに身を置いてみる」こと。前向きな姿勢で「流れに乗る」生き方だ。

こう心に決めたら、片岡さんの胸のつかえはスーッとおりた。その後に彼は風景や夕焼け、星、月、椿の花、魚、虫などを見たときに、なぜか胸に感動が走り、心にポエジーが湧いてくるのを感じるようになった。「柄でもねぇな」と苦笑しつつ、彼はだんだんと「この感情を表現したい」欲求に駆られ始めたのだ。

こうして、「絵を描いたことなんて、子供のころの図画工作以来」という片岡さんの中に、「墨で絵や書を描けるような後半生が送れたらいいな。絵や書を通して、胸に迫る感動を表現したい」という思いが芽生えたのである。絵や書を通して、胸に迫る感動を表現したい」という思いが芽生えたのである。片岡さんが受け止めた”流れ”は、「何かを見たときに起こる表現への衝動」だったのかもしれない。

彼はすぐに、安い硯(すずり)と墨、筆を買って、独学で墨絵への挑戦をスタート。タイミングよくタモリさんに連れられて行った銀座のクラブで墨絵画家と知己になる幸運も得て、絵筆をとってわずか一年で個展を開くという快挙を成し遂げた。目的を持って行動すると、不思議と幸運が訪れるものなのだ。

俳優業の傍ら、夢中で墨絵を描く片岡さんは、いま新たに、着物絵付けや胸芸などにもチャレンジし、創作活動の幅を広げている。もちろん、俳優業のほうもますます円熟味が増し、夢中になって真剣に取り組んだ趣味の墨絵がこちらにもいい影響を及ぼしていることは言うまでもない。

button-only@2x 「心の声」には、「自分を変えるカギ」がある

「このままでいいのだろうか」と心配するたいせつさは、まさに自力で将来を開く力を生むところにある。

人生が停滞気味で、生きる目標を失ったようなとき、片岡さんのように「ちょっと立ち止まって、自分の心の声に耳を傾けてみる」といい。きっと、目標にできる何かが見つかるはずだ。

世の中には、「旅行先のスペインでフラメンコに魅せられて、ギターの勉強を始めた」とか、「老親の介護をお願いしている介護士さんの働きぶりに触れて、介護のボランティアに参加するようになった」「会社をリタイアしてから突如、若いころにはほんとうは日本文学を勉強したかったんだということを思い出し、地域の生涯学習センターに通いだした」など、新しい世界に生きがいを見出した人がたくさんいる。

みなさん、「このままでいいのか」と憂える時間があったからこそ、自分の心の声を「変化の波」と捉えて新たな目標とすることで、行動を起こすことができた人たちだ。

新しい世界は、自分の”未来写真”に新鮮な彩りを添えるもの。目標に向かってがんばる自分を取り戻すきっかけになりうるだろう。

▽「大きな目標」と「小さな目標」を同時に持つ

またもう一つたいせつなのは、現状の中でマンネリ気分を払拭して、明るく楽しい気持ちで日常を過ごせるようになる目標を見つけることである。

「マンネリに陥って将来が見えないから、まったく新しいことを始めよう」と何かを見つけても、会社を辞めてまでその道に進むのはむずかしい。どのみち、日常の仕事に感じるウンザリ感を解消しなくては、心配性もおさまらないのではないかと思う。

そこで必要なのが、ちょっと新しいことをしてみるためのきっかけとなる、目標づくりである。

目標の設定しだいでつまらないと感じていた仕事がみるみる楽しくなってくる…なんてことはよくある。そうなったら、シメたもの。生き生きと働くあなたはきっと、将来の青写真から”心配色”を消すことができるだろう。

私自身、90歳近くになってもなお楽しく仕事をして過ごせるのは、「誰もが気軽に精神科にかかる時代をつくる」という生涯の目標があり、日々の診療には多くの患者さんが頼りにしてくれる現実があるからだ。ちょっとまえまでは一日100人近くの患者さんを診たりした。こうなると朝から夕方までろくに食事をとる暇もない。

「マンネリだぁ」などと思うことはない。

加えて私は好奇心の塊だ。「今日は何か一つ、新しい発見をしよう」と企んで暮らしている。そういう中で楽しみごとの目標を見つけるのも、われながらうまいと思う。

ほうぼうから取材に来るのでご存じの方もおられるだろうが、いまでは旅の楽しみの一つになっている「橋の持ち上げ」もそうだ。

これは、船に乗っているときに、橋を背後に掌を上に向けたバンザイポーズをして写真を撮ってもらうもの。あたかも私が「ヨイショ」と橋を持ち上げているかのような写真が出来上がる。佐藤汽船の大型フェリーが、処女航海をするまえの航海に乗せていただいたときに教わった”遊び”なのだが、私はこれにはまった。もっぱら妻が撮影してくれる。

すぐに「世界中の橋を持ち上げよう」という目標を立て、いまなお船で国内外を旅行するたびにソワソワしている私である。

こういう目標をたくさん持っていると、毎日が新鮮で、じつに楽しい。

大きな目標を持つのは大事だが、小さな目標を持つのも大事だ。

いま、「このままでいいんだろうか」と心配する人たちは、目標がないから行動できないだけだ。

目標が見つかって行動するようになれば、かならず心配のタネである将来のイメージも変わってくる。なぜなら、目標を生むからだ。

目標が目標を呼ぶとでも言おうか。とにかく行動してみるとわかるが、活動シーンの広がりとともに、自然と「次の目標」が浮かび上がってくる。そういうものである。