Pocket

 

button-only@2x 「将来が心配…」は、こうして解決する

心配、悩みを”逆手に取る”頭のいい方法

前章では、「心配してもしょうがないことを心配するのはやめなさい。起こってしまった過去の事実や、動かしようのない現実、あるがままの自分自身を受け容れて、いまだ来ない未来をいたずらに恐れず前に進もう」というお話をした。

本章では一転して、大いに「心配性」を激励しようと思う。

と言ってももちろん、「心配しっ放しでいいですよ」とおすすめするのではない。

なぜ、心配、になるのか、その不安材料をハッキリさせて、これから起こることへの対応策に結びつけるよう行動することをご提案したいのだ。

冒頭で述べたように、人間とは「心配する動物」である。よって、まったく何も心配せずに日々を過ごすのは不可能だ。

とくに「先のこと」となると、何が起こるかわからないために、さまざまな心配事が頭をよぎる。これはもう、抑制のしようがない。

しかし、先のことに対する心配なら、逆手に取ることができる。「心配した通りに物事が運ばないように、不安材料を努力目標として掲げる」、たったそれだけのことで前向きに行動するエネルギーに変換することができるのだ。

これはようするに、心配性のうつうつとした気分から脱し、いわば「人事を尽くして天命を待つ」という心境に達するための作業である。

先のことをあれこれ考えて、心配するだけでは何もいいことはないが、「心配だから、やれるだけのことはやっておこう」と考えればまったく違ってくる。

心配が行動の言動力になり、「失敗しないように努力する」ことに集中できるようになる。そして、あらゆる「心配の芽」を一つずつ摘み取っていくことによって、

「結果がどうなるかは、運を天に任せるのみ」と、気持ちがスッキリしてくるのだ。

もちろん、周到に「失敗しないための準備と努力」を重ねても”悪い予感”が当たる場合もあるが、「少なくとも、自分は努力をした」という、ある種の充足感が残る。

と同時に、自分の行動を振り返りながら、何が足りなかったのか、方向性が間違っていたのかななどと、失敗の原因を具体的に反省することもできる。次の一歩につながるのだ。

しかし、心配するだけで何もしないと、「やっぱり、失敗した」と落胆するばかりで、失敗を回避する行動をしていないだけに、「ああすればよかった、こうすればよかった」がウンザリするほど頭に浮かび、身動きがとれなくなる。

結局、「自分はダメな人間だなぁ」と自身の人格や能力をおとしめるような思いにとらわれてしまうだけだ。ひじょうに損である。

人は誰しも、「うまくやりたい」「失敗したくない」「向上したい」「成功したい」と望むものだ。心配性の人は、その願望が人一倍強いから、不安になったり、クヨクヨ考えたりする。

本来は前向きな性格なのに、消極的な行動に終始してしまうのは、もったいないことだ。逆に、心配性であることを誇りに思い、積極的に物事に取り組んでいこうではないか。

以下、さまざまな「未来の不安」を例に、”心配性エネルギー”の威力を最大限に活用する方法を考えみたい。

button-only@2x 「将来が心配…」は、こうして解決する

▽「このままでいいのか?」と悩んでいる人へ

現状には、とくにこれといった不満はない。でも、満足しているかというと、そうでもない。将来が見えないことを、漠然と心配している。そういう人はじつに多い。

「仕事がマンネリ気味で、心躍るような仕事が少ない。このまま定年まで働いたとしても、何もいいことはなさそう。このままでいいんだろうか」

「なんとなく独身のまま仕事を続けてきたけれど、先が見えない。大きな成功なんて期待できないし、支え合う家族もいない。もう、ないないづくし。このままでいいのかしら」

「毎日が日曜日の気楽な暮らし、会社員時代にはあこがれていたが、いざ定年退職をすると、何もすることがなくて退屈でしょうがない。かといって、仕事をしようにも職がないし、無趣味人間だし、どうにもならない。このまま老け込むのを待つだけでいいのか」

「家族と育児に忙殺される日々、それはそれで充実しているけれど、なんとなく物足りない。社会との接点がなく過ごすうちに、世の中から置いてきぼりにされるかもしれない。このままノホホンと暮らしていていいのかしら」

多くの人がこんなふうに、判で押したように繰り返す、ある意味で”平和な日常”の中で、「先がみえない」苦しみを抱えておられると思う。

つまり、心配の対象「予測されるパッとしない将来」なのだが、、さらに突き詰めると、その心配の根っこには「将来に生きる意味を見出せない」ことがある。言い換えれば、「生きる目標」を見失ったために、将来への心配が頭をもたげてくるのである。

しかし、「このままでいいんだろうか」という心配が心に生じたあなたは、じつに幸せ物である。「目標探し」のきっかけがつかめたではないか。

何も心配せずに現状に甘んじていると、予測した通りの将来を迎える確率は高いが、心配すれば「生きる目標」が見つかる分、まったく別の将来が開ける可能性が高くなるのだ。

「このままでいいのだろうか」と心配になったときは、ぜひ「そうだ、新たな目標を探そう」と、自分自身に向かって掛け声をかけていただきたい。

そもそも、自分の人生が将来、どんなふうになっているかなんて、そのときになってみなければわからない。

それを冴えない現状から予測するよりも、目的を明確にして「現状」を変えることのほうがよほど重要である。

いまのままだと心配だから「現在」を変える。そうすれば、心配していた「将来」の青写真もも自ずと変わるのである。

私はこの年になるまで、馬馬車のように働いてきた。元気で働けたのだから、おかげさま、と言うべきであろう、面白そうなことは喜んでやってきた。またいまやるべきことは全力を尽くした。その結果、いまの自分があると思っている。「将来」とは「現在」をどう生きるか、その結果なのだ。将来を心配するまえに、いまを全力で生きたい。