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button-only@2x 「他人と比べる」のは、今日で終わりに

▽人に注いでいる”注意力”を自分に向ける

よく、他人と自分を比べては、「あの人はすごいなぁ、私はダメだ。あんなふうに幸せにはなれないんだ」と、嘆き節ばかりうなっている人がいる。

たしかに、優秀な人や順風満帆の人生を歩んでいる人を見ると、うらやましいと思う。つい、わが身と比べて、情けない気分に陥ることも少なくはないだろう。

気持ちはわかる。いつだって「隣の芝生は青い」ものだ。他人がうらやましく感じられるものだ。私とて、病院経営がうまくいかないときは好調な同業者を「すごいなぁ」と思うし、両親が個性的すぎるばかりに、”ふつうの親”を持つ友人を「いいなぁ」とうらやんだこともあった。「あの人のように、もっと頭がよく生まれていればなぁ」などと、少々のあこがれを感じることなんて、しょっちゅうだ。

ただ私は、だからといってわが生涯を不幸だと思ったことはない。しょせんは、”ないものねだり”なのだ。人は人、自分は自分…比較したところで、何の意味もないではないか。

あるがままの自分を受け容れ、そして愛することのほうが、ずっとたいせつだと思うのだ〈第8の習慣〉

なぜなら、人をうらやんでも自分はけっして他人になれないし、”他人のような人生”を歩むこともできないが、自分を愛し、自分の「心の声」に真摯に耳を傾ければ、「なりたい自分」になれるからである。

もちろん、「あの人のようになりたい」という羨望をエネルギーにして、努力するのはけっこうだ。

しかし、それが自分らしさとかけ離れたものであるなら、「おやめなさい」と言いたい。人生は一回きりしか生きられないのに、他人のマネをして過ごすのでは、自分の人生ではなくなってしまう。

たとえば、「ノーベル賞を受賞した野依良治さんや田中耕一さん、小柴昌俊さんの」ような立派な研究者になりたい」と願ったとしよう。

お三方にも、おそらく目標とする人物がいらしたと思う。でも、その人と同じように勉強し、似たような研究をしようとしたのではない。栄冠を手にするプロセスには、

「この謎を解明したいな」「こういう技術が可能ではないかな」というオリジナルの視点があり、誰もが「できっこない」と封印したような分野を究明するというそれぞれの挑戦意欲があったのだ。

つまり、自分は何をどう実現したいのか、という独自の考え方に基づく行動をとらなければ、羨望は羨望に終わるだけ。自分らしい人生を構築するエネルギーにはなりえないのである。

ましてや、他人をうらやんでため息をついているだけでは、何も変わらない。人に向ける目を自分自身に向ければ、妙な心配はどこかに飛び、「なりたい自分になる」という元気が湧いてくるに違いない。

かの発明王のエジソンは、「あらゆるものには輝くダイヤが隠されている。磨けば光る」と言っている。誰でも自分の中に磨けば光るダイヤがあるのだ。

 

この「8つの習慣」がムダな心配事をなくす

①自分にとってつらい現実をしっかり受け容れる                                                           ————————————————–

② 頭のギアを「心配」から「反省」に切り替える                                                          ————————————————–

③「過去は、いい将来を築くタネとして存在する」と考える                                         ————————————————–

④ 現状を認識し、その中でいま自分は何ができるかを考える                                          ————————————————–

⑤ 厳しい現実は、「笑い話」にすることで受け入れやすくなる                                      ————————————————–

⑥ 状況が変わらない場合は、自分から変わってみる               —————————————————

⑦ 変化はコ恐いが、変化した現実をひとまず受け容れてみる           ————————————————–

⑧ あるがままの自分を受け容れ、人と比較しない                —————————————————