人と人との関係というのは、お互いに得るものがあり、つきあっている事自体が楽しい…と思えるところがなくてはならない。そういう関係はお互いを尊重し、二十年、三十年と長つづきする。理想的な関係といえるだろう。
そうではない関係も、世の中には多い。一方だけが、得るものがあったり、一方だけが楽しいという一方通行の関係だ。こうなると、もう一方の人はしだいに離れていくのは自然のなりゆきだろう。
だれかといっしょにいるときは華やかで、とても魅力的な人がいる。ところが、こういう人のなかには、ひとりになるとしょぼくれて、何もする気がなくなり、うじうじと自分を責めるという人もいる。
虚栄心の強い人である。この人の特徴は、まず、いちいち話が大きいことだ。
「町のちんぴらとけんかして、相手は六人いたが、全員、ノックアウトした…」
「私の祖父が東北一の山林王で、〇△駅から見える山々はみんな実家のもの…」
「昔フランスに住んでいたとき、隣にはアラン・ドロンが住んでいてね…」
まあ、どこまでほんとうの話なのか知らないが、こういう人には、それを驚いて、あるいはあこがれで聞いてくれる人がいなければならない。
虚栄心の本質は、実際がどうであるかというよりも、相手がどう思うかを気にするところにある。相手が自分を崇(あが)め、自分が優位な立場にいなければいけないのである。それは、自分には、いうほどの優位性や実力がないことが前提になっている。
ないことがわかっていながら、いわずにはいられない。ひとりのときにしょぼくれた感じになるのは、実際のところを思い出しているからかもしれないし、聞いてくれる人がいないからかもしれない。
このような人がエネルギッシュになるのは、だれかがそばにいるときだけだ。いうことによって満足感も得られるし、楽しいからエネルギーも生まれてくるのだろう。
また、聞いている人たちも楽しいのである。
「へえーっ、それはすごいなあ…」
と、自分の知らない世界に興味津々で耳を傾ける。しかし、その人と何回か会ううちに、、つまらなくなる。話がほんとうかウソかは別にしても、自分が「聞き役」でしかないことに気がつくからだ。自分が、その人の虚栄心を満たし、その人を満足させるためだけの存在であることに空しくなるのである。
だれの心にも虚栄心や見栄っぱりな部分はあるだろう。しかし、それもまた「お互いさま」であって、自分の虚栄心を満たすことができたら、次は、相手の虚栄心も満たすように耳を傾けなければならない。それが「お互い」ということで、人と人との関係の大切なところだ。
まあ、そうはいっても、虚栄心というのも程度問題で、あまりに強過ぎれば、逆に「品性のなさ」を印象づけてしまう。どちらにしても、人と人との関係を好ましくするものではないことは覚えておいてほしい。
立ち直りのうまい人
【笑いながら、ゆっくり立ち直ろう】
落ち込んだときやつらいとき、人には何が必要か。
少しづつでも問題を解決していこうとする粘り強さか、状況がよくなるまで待つことのできる忍耐力か。たしかにそれも必要だろうが、私ならまずはユーモアと笑いを挙げる。
以前、アメリカのレーガン元大統領が左胸を狙撃されるという事件があった。病院に運ばれたレーガンは、医者にこういったそうだ。
「キミは共和党の支持者だろうね」
レーガンは共和党。反対政党の医者だと命が危ないというジョークである。一大事にこういうジョークが飛ばせる人なら、けがや病気からの回復もさぞかし早いことだろう。
ノーマン。カズンズというジャーナリストの『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)という本の中にも、笑いの効用が書かれている。彼は膠原病(こうげんびょう)を克服した人なのだが、十分間大笑いしたあとには、二時間は痛みを忘れることができたという。
精神科の病気の治療にも、ガンなどの終末医療にも、ユーモアは欠かせない。アメリカのある精神科医などは、
「ユーモアを医学生のカリキュラムに組むといい」といっているほどだ。
病気の回復も助けるぐらいだから、ちょっとした悩みから脱出するときなどの効用は、どれほど大きいことか。
あなた自身が悩んでいるときには、テレビでも本でも何でもいい、何か笑えるものを見つけたり、笑わせてくれる友人に会うことだ。いつまでもうじうじ悩んでばかりいる人より、よほど人に好かれる。反対に、悩んでいる人がいたら、ひとつでもおもしろい話をしてあげることだ。
これで、あなたの好感度も上がる。レーガンの一件にしても、まわりの人たちはあのジョークでどんなにほっとしたことだろう。ひょっとしたらレーガン以上にはらはらし、緊迫していたかもしれないのだから。
いまのあなたはどうだろう。悩んでいるときに笑わせようとする友人に「私がこんなに苦しんでいるのに、こいつはへらへらして」と、むっときてはいないだろうか。「冗談なんかいっている場合じゃない」と怒ったりはしていないだろうか。
そうだとしたら、立ち直りは遅いし、好感度も低い。
【明るい性格なのに好かれない人とは】
ムードメーカーは間違いない人から好かれる。
とかく暗い雰囲気になりがちな職場でも、ムードメーカーがひとりいるだけで雰囲気が変わる。冗談をいって笑わせ、トラブルが起きたらみんなの気持ちを前向きにし、その場を和やかにしてくれる。
仕事のあとの酒の席でも、こういう人がいるのといないのとでは、まるで違う。
ひとり加わっただけでも、上司の悪口やら仕事の不満やらをぐちぐちいい合った果てに、「あーあ、あしたもまたつらい仕事か。じゃあきょうはこのへんで。あしたに備えて帰るとするか。あーあ、やれやれ」などの結末にはならない。楽しい話題で盛り上がって、笑いのうちにお聞きとなる。グチのこぼし合いでは疲れや不満をひきずるだけだが、陽気に飲めば疲れは吹き飛び、元気も湧いてくる。翌日の仕事にのぞむ気分も、だんぜん違ってくる。
真のムードメーカーというのは、とても「力のある人」だろう。明るさだけでなく、エネルギーも与えてくれる存在だからである。
これがただの脳天気な人だったらどうか。
周囲の空気などお構いなしにはしゃぐ。ひとり、盛り上がる。深刻な問題が起きても、解決策を探ろうともせず、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とへらへらとやり過ごそうとし、真剣に考えている人を見れば「なに暗い顔してるんだよ」とくる。
このままやってもうまくいかない、方向転換を考えねばという状況下でも、何を勘違いしたのか「ポジティブ」をはきちがえて、「失敗なんか恐れるなよ、ポジティブにいこうよ」。
これではムードメーカーではなく、ただの脳天気な人である。
周囲に明るさと活力を与えてくれるのは、その場の雰囲気や、いまがどういう状況なのかを察知し、だれがどういう感情をもつのかを理解している人だ。だからこそ、場を盛り上げる話し方や振舞いが発想できる。
自分は明るい性格なのに、なぜか周囲に受け入れてもらえないことがある、と感じることはないだろうか。
陽気な人はたくさんの人から好感をもたれることに間違いないが、それは自分本位の陽気さではなく、周囲の空気や人を視野に入れた陽気さだから…という但(ただ)し書きがつくことをお忘れなく。