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button-only@2x うんざりしながら、「時間つぶし」をしている人

繁華街にたむろする若者たちが増えているいる。しかも一日中、仲間といっしょに地べたにだらしなく座り、あるいは寝転ぶようにからだを投げ出している人もいるというから、さすがの私も「最近の若い連中は…」とつい、いいそうになったが、やめた

よく考えてみたら、この「最近の若い連中」の父親もまた、休日には家でごろ寝を決め込んでいるのではないのか…と気がついたからだ。それにしても、もう少しどうにかしつけられないものだろうか…という気持ちも正直な所、ある。

まあ、「行儀が悪い」ということもあるが、それよりも若者が何をするでもなく、

ただたむろしているというのは、あまりに時間の浪費ではないか。エネルギーがあって感受性をも強い年ごろに、だ。ほかにしたいことはないのか…と、いいたくもなる。

なぜ、彼らは何の目的もなく「たむろ」するのか。おそらく、ひとりで家にいることが苦痛なのである。自分ひとりでは楽しめないからである。

だれかといっしょにいないと不安でしかたがない。

いらいらして間がもたない足は自然に仲間のいるどこかの繁華街に向く。そこで知った顔に出会えれば、ひとまず安心できるのであろうか。こんなふうにいえば、「おれたちの自由だ」という声も聞こえてきそうだが、「自由」というわりには、彼らは楽しそうでもない。心の中ではうんざりしながら、なお「たむろ」し、世間話をしながら時間をつぶしているようにしか見えないのだが、どうだろうか。先ほど、電話の話をした。ひとりでは不安になって楽しめないので、だれかとつながっていたい。だれかとつながっていれば、とりあえず安心できる。これと、同じ心境なのかもしれない。

いずれにしても、ひとりでいることができない人が増えたということのようだが、「ひとりでいる」という時間はとても大切なのである。唯一の「自由な時間」なのである。

私たちは、社会に出れば、常に何かに縛られている。あるいは、職場では同僚や上司といっしょに過ごすから、自分ひとりの時間はなかなかもてない。

もちろん友人といっしょに過ごし、コミュニケーションをとることは人生を楽しむために必要だが、そのために自分ひとりの時間を「つぶしている」のはもったいない。とはいえ、これは何も若者だけの現象ではないようだ。OLでも主婦でもサラリーマンでも、ほかにしたいこともないから…と、酒場で「たむろ」しているように見える。「ひとりの時間」の過ごし方について、じっくり考えてみよう。

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【夢中になれるものが、人生を支えてくれる】

「仕事もそこそこ、家庭もそこそこ…。特別な不満があるというわけではないんですが、どうにも人生がつまらないんです」

世間にはこんなことをいう人が少なくない。不幸でもないが、幸福でもない。何となく生きているが充足感がない。そんな気持ちに、心当たりはないだろうが。打ち込むものが見つからない、何をやっても夢中になれなくてすぐに飽きる…。

こういう人は不幸だ。本人は「不幸でもないが…」と思っているようだが、それは自覚が足りないということであって、一方で楽しみたいという気持ちがあるのにそれができないのだから「不幸な状態」といったほうが正しいだろう。

仕事で成功して、後は長男にまかせて自分は引退し、家族も仲が良く、悠々自適に暮らして、見るからに幸せそうな知人がいる。彼に幸福感について尋ねると、意外にも困った顔をして、「まあ、不幸でもないけれども…」などという。理由を聞けば、

「毎日、何をするでもなく一日が終わって、夢中になれるものがなくて…」と、物足りない気持ちのままで、どこか消化不良のような生活をしている。思い出してみれば、彼には、若いときからの「趣味」がなかった。現役だったころは仕事に夢中になり、それにの幸福感もあったのだろうが、引退すると何もないことに気がつく。

いまは仕事に忙しくて趣味がもてないが、「定年になったら油絵を描くつもり」などという人がいるが、なぜ定年まで待たなければならないのか。趣味というのは、仕事があろうがなかろうが、忙しかろうが暇だろうが、夢中になれるものである。

私は幸福にも、若いときから飛行機に夢中で、飛行機に関する情報やコレクションには目の色が変わる。新型の飛行機が就航する…などの情報が流れると落ち着いていられない。ひとりで飛行機に関する本を読んでいても楽しい。おかげで、飛行機についての知識やウンチクもある。どこかで同好の士と会うようなことがあっても、飛行機話に花が咲き、お互いに好意を持ち、それが縁で長いつきあいになることもある。

趣味は、長い人生を楽しんでいく柱である。イヤなことがあっても、夢中になれるものがあれば心も晴れる。また、飛行機のおかげで、さまざまな人にも会えた。

仕事というのは、あなただだけではなく、だれもがやっていることである。いくら仕事が楽しいからといっても、仕事が一本槍(いっぽんやり)では、せっかく人生の楽しみをみすみす逃しているようにも思うが、どうだろうか。

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【ひとりでいるときこそ、楽しみを積んでいこう】

ふりきのおもちゃに魅せられて博物館までつくってしまった人がいる。あるいは、駅弁の包み紙を何十年も集めている人、いつでも釣りができるように何千坪もの土地を買って池をつくってしまった人…。私はこのような趣味についてはあまり食指も動かないのだが、しかし、このような趣味をもっている人には強烈に魅かれるものがある。趣味が高じて、行くところまで行ったんだなあ…という、ある種の感動さえ湧いてくる。

私とは違う趣味の人でも、同じように熱中している人同士には相通じるものがあり、会ったこともない人なのに、親しみを感じることもある。

あなたの知り合いで「人気のある人」を思い出してほしい。おそらく、何かの特技や熱中している趣味をもっている人ではないだろうか。そして、話題が趣味のことになれば、子どものような無邪気な顔になるだろう。

世界中の蝶の収集を趣味にしている人がいる。その「成果」として部屋中に並べられた標本を見せられたとき、趣味のない人は、「よくぞ、ここまで。さぞかし苦労したのだろう」とため息が出るかもしれないが、本人にとっては「楽しい時間の積み重ね」なのである。もっというなら、日常のイヤなことをすっかり忘れられる時間の積み重ねで、趣味の大家といわれる人には、人知れぬ悩みを抱えている人が少なくなるという。悩みが深いぶんだけ趣味に没頭して、その結果、大家とまでいわれるようになるという構図だ。

いずれにしても、趣味を楽しんでいる人には、大きくは次のような効果がある。

●気分がリフレッシュしてストレス解消になる

●知識や思考法に幅が出てくる

実際、趣味に夢中になっていると、その分野が増えるのは当然ながら、ものの見方や考え方に幅が出てくる。

前項で述べた「若いときから仕事一筋の知人」は、現役のときに身につけた仕事のやり方や段取りのつけ方はうまい。しかし、現役を退いたときには面食らうことになる。そのぶん、思考の幅が狭くなっていたのであろう。

これを補ってくれるのが趣味である。現役であろうがなかろうが、ずっと継続して楽しんでいける。以上が、私の実感的「幸福な趣味論」である。