【人の心までわかったつもりにならない】
人のためになにかをしてあげたい、と考えることはたいへんいいことですが、「よかれ」と思ってやったことがまったく裏目に出ることもしばしばあります。かえって誤解を招いたりすることさえあります。
そういうよくない結果になると、「ああ、やめておけばよかった」「いっそのこと、もうなにもしないほうがいいのかな」「他の人どうしているんだろう」などなど、思い悩むこともあります。
なにかを頼まれてしたことならいざ知らず、自分から進んでやった結果ですから、すべては自分の責任です。だからといって、「やらないほうがよかった」と考えてしまっては、本当にマイナスの結果しか残りません。
問題は「よかれ」という判断にあるのです。気が利いているつもりで、なにかをアドバイスしたら、相手が「そんなことはわかっている!」と急に怒ることがあります。そういう態度しかとれない相手にも問題があるのですが、恐らく、アドバイスのしかたや中身にも問題があったのでしょう。
少なくとも、その時の相手の気持ちを、自分はまったくわかっていなかったということは言えます。
人はつい、身近な人の心を自分はわかっているのだというつもりになりがちです。そういうつもりになることで、その人との親密さをアピールしたいのです。または、心理学者よろしく、分析して見せたいのかもしれません。
けれども私を含めて、人は他人の心の中まではわからないものなのです。それが家族であっても、長年の親友であっても、仕事の同僚であっても、相手の気持ちをわかったつもりになることは「よかれ」の失敗をまねきます。
かえって、自分は何も知らない、という「ゼロ思考」にもどって、相手の言うことに注意深く耳を傾ける、という態度のほうが大切です。
わかっているつもりで失敗すると、自分までプレッシャーになりますが、はじめからからわかっていないのであれば、失敗するのは当たり前のこと、「やあ、失敗、失敗。申し訳ない」と明るくかわすことができるのではないでしょうか。
もしかしたら、自分の心の奥底だって自分でもよくわかっていないのですから。
【うまくいったときのことを思い出す】
–「成功イメージ」がものごとをうまくは運ぶ–
人生は苦しくつらいことばかりが多い、という人がいます。一方で人生いろいろあるけれど、一度きりの人生だから、楽しまなければ損、と言う人もいます。
もちろん、人によって置かれている環境や事故や病気などの出来事は違っていて、人生の数は、地球の人口の数だけあるわけです。人類の中でまったく同じ人生を歩む人など一人もいません。一卵性双生児同士が同時に結婚するという例もありますが、それでも同じ人生にはならないのです。
要は、人生においてだれにでもある失敗やミス、災害や事故、病気などを、どうとらえるかということです。
阪神・淡路大震災被災者の方が、「被災して大変やけど、生き残ったのは幸せや」と語ってるのを何度か聞きました。これは、単なる「ポジティブ・シンキング」というより、人生のどこを見て生きているか、ということでしょう。
苦しい、つらいこと、失敗などばかりを見ていれば、人生は確かに苦しくつらいものに見えます。一方で、楽しく、心地よく、また成功したことに注目すれば、まったく違って見えるのです。
そこでこれまでにいちばんうまくいったことを思い出してみます。勉強でも、恋愛でも、仕事でも、趣味、遊び、おいしいもの、美味しい景色、好きな絵、音楽、かわいい動物・・・なんでもいいのです。
うまくいったこと、心地よいことを思えば、今の苦しみ、失敗などが薄れてきます。
そして、成功したときのイメージを持ってもう一度チャレンジすることで、少しづつ事態は変化するでしょう。
成功するイメージが増えてくれば、頭の中に苦しいことつらいことが住み着くスペースが減ってきます。だんだん、人生の見え方も変わってくるのです。
「失敗に目をつぶる」ということばは、否定的に聞こえますが、じつは肯定的な意味を持っています。終わってしまったことをいつまでも眺めていても、失敗が成功に変身するわけではありませんから、「目をつぶる」ほうが前向きといえます。
そのうちに、失敗を恐れることもなくなり、そうなると、自然に成功するほうに流れも変わります。なんとなくうまくいく感覚が湧いてくるのです。
【感謝することを忘れていないか?】
— それがなかったらどうなっていただろう、と考えてみる —
自分の持ちものであれ、賃貸であれ、人は家に住んで生きています。そこに長く住んでいると、住む場所があることが当然のように思ってしまいますが、家はそれは当然のことではないのです
世の中にはホームレスと呼ばれる人もいますが、そういうケースを除いても、家は無くなってしまうことがあるのです。家事や地震、洪水などの災害もそうだし、ローンが支払えずに差し押さえられるということもあります。つまり住む場所はあって当然ではなく、そこにいられることは感謝すべきことなのです。
家族は、毎日顔をつきあわせていると、うっとうしいとか、うるさい、邪魔、と感じる人も多いでしょう。これも、存在して当然だと考えているから「うるさい」などと感じるのです。
どんな家族でも、もしいなかったらどうでしょう。とんでも暴力をふるうとか、勝手に借金ばかり作る、という大きな問題のあるケースでない限り、多少トラブルのもとであっても家族はいたほうがいいはずです。
自分が元気だから「うるさい」「邪魔」などといえますが、病気で倒れたときに隣に住む他人が夜通し看病してくれるでしょうか。
また、大きな災害が起こったときに、自分一人で生きていけるでしょうか。答えは明白です。どんな家族でもいたほうがいいはずなのです。もし離ればなれになっていても、心のどこかでつねに家族がいることにも感謝するときがきっときます。仕事はいうまでもありません。どんなに大変で苦痛に感じていても、仕事があることには多少なりとも感謝が必要です。
仕事がなければ探さなければなりません。仕事によって得られているのはお金だけではなく、仕事があることによる心の安定、職場の人間関係、そして仕事以外に楽しみを持つチャンス=人生の充実などさまざまなメリットです。どれもかけがえのないもの。ひとつひとつに感謝しておくべきでしょう。