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button-only@2x 紙類の処分には、強い気持ちで臨む

情報とはモノではないだろうが、実際にはモノだ。情報とは実際には、紙に書かれているのだから、情報を取っておこうと思えば、紙を取っておくことになる。書類、資料、新聞、雑誌、本、手紙、ノート、メモ用意、その他。だから嵩張る(かさばる)。溜まれば山にも渓谷(けいこく)にもなる。山崩れも起こすし、ときには災害ももたらす。

パソコンが普及し始めた頃に、これからは情報は電子化される、これからはペーパーレスの時代になると、よくいわれたものだった。

だが現実は違った。たしかに情報は電子化されていったが、だからといって紙の消費量が減ったわけではない。これまで通り、コピーは紙でばんばん取るし、本は紙で読む、新聞も紙で配達してもらうし、会議の資料は紙に書かれたものを配る。パソコンが普及して、印刷機を使って簡単に紙に印字できるようになったために、かえって紙の消費量は増えているという人だっている。

というわけでは私たちの身の回りには、ますます紙があふれるようになった。

のみならず、頼みもしないのに勝手に送りつけられてくる紙類も膨大な量に及ぶ。

毎日、郵便受けに投函されるDMや広告チラシだけでも、ものすごい量だ。郵便受けが、DMや広告チラシのゴミ箱にされているようにさえ思えてくる。早く取り除いておかなければ、大事な手紙や新聞の夕刊を入れてもらう隙がなくなるのではないかと心配になるほどだ。

とてもとても「いま忙しいから、あとでゆっくり目を通そう」などと悠長なことなどいっていられない。どんどん捨てていかなければ、またたく間に紙に埋もれて生きてゆかなければならなくなる。

そこで、こんなルールを作っておくのはどうか。

◉情報の選球眼を養って、見ないで捨てる。

◉その日がきたら、容赦なく捨てる。

「見ないで捨てる」とは、ボール級はふるな、ということ。

いつだったか野球の解説者がいっていたが、いい打者というのは、ボール球には手を出さない。これぞという球だけを、確実に打ち返してゆく。つまり選択眼がいい。

私たちも、この情報は役に立つか立たないかを一瞬にして見極める、いわば選球眼を養っておく必要があるのではないか。そうしなければ情報化のこの時代、情報化とはつまり先ほど述べたように、情報の記載された紙があふれるこの時代を生き抜いてゆけないと思うのである。

広告チラシを捨てるか、取っておくか、一瞬にして見極める選球眼。

駅のの売店で買った雑誌を家までもち帰るか、途中で捨ててくるか、その場で判断する選球眼。

これで紙類の半分は、上手に処理できるはずだ。

そしてもし「あとでゆっくり見よう。もう一度、詳しく読んでおこう」と、取っておいたモノであっても「その日がきたら、容赦なく捨てる」である。

これは「定期的に捨てる」ともいい直せる。

幸せにいま、ゴミの分別収集が一般的になってきている。

あなたの暮らす町に「〇曜日は、古紙回収の日」というルールがあるのではないか。

この「〇曜日」が「その日がきたら」となる。この日がきたら、まだ見ていない読んでいないモノであっても容赦なく捨てよ、だ。

ここで必要になってくるのも「あきらめ力」だ。

よく読まずに捨ててしまって、有用な情報を見過ごしてしまって、それであとで損をしたり後悔したりすることになるかもしれないが、それは仕方ないこと。人生には、いさぎよくあきらめるしかないときもある。

さて職場に溜まった紙類はどうするか。職場には「〇曜日は、古紙回収の日」というルールはない。

仕方ない。自分で「〇曜日は、溜まった紙を処分する日」というルールを作っておくしかない。あとは意志を強くもって、実践あるのみ、だ。

ところでちょっと忘れがちだが、大切なことがある。

要らないモノを、ゴミ箱ポイ。そこで安心してしまう人が多いのだ。

ゴミ箱へポイで、「おしまい」ではない。

ゴミ箱に溜まったモノも、ちゃんとこまめに捨てておくこと。

そうしないとゴミ箱の中でモノが山のようになり、そこからあふれ出し、そこらを散らかすことになる。

ゴミ箱からモノがあふれているような家に住みたいですか。

ゴミ箱からモノがあふれているような職場で働きたいですか。

みなさんの答えは、もちろん「ノー」だろう。

そうならばゴミ箱にあるモノを捨てることも、お忘れなく。

掃除の人がもっていってくれるから、それは女房の仕事だから、などと人任せにするのはやめよう。気づいたら、自分ですぐにだ。

ゴミ箱の中も、きれいに。これも「心地よい暮らし」のためである。