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button-only@2x 「他人の目」が気にならなくなるレッスン

▽レッスン1 つねに「私はどうしたい?」と自問する

他人の目が気になってしょうがない人は多い。こういう人は何か行動したり言ったりするときに決まって、「自分の評価を落としたくない」とか「ワガママだと思われたくない」「協調性がないと非難されたくない」「みっともないところをさらけ出したくない」「こんなことをしたら世間体が悪い」という具合に考える。自分の言動に対して、周囲がマイナスの評価をすることをひじょうに心配するのだ。

この種の心配性が高じると自己主張ができなくなるので、消極的な行動に終始する。

それでは、「自分らしく生きる」道を、自ら閉ざしてしまうようなものだ。大損である。

そもそも周囲は、自分が気にするほどにはあなたのことを気にしていない。先日も、

「自分では『髪の毛を切りすぎたなぁ。カッコ悪いなぁ。評判が落ちるなぁ』と思っていたのに、人は『え? 髪の毛、切ったの? ぜんぜん気づかなかった』という感じで、他人にはほとんど関心がないことがわかった。気にして損した」とふくれっ面をしていた知人がいるが、世間とはそういうものである。

誰もが自分のことで精いっぱい。人の様子や言動を逐一観察して評価するほど、暇を持て余してはいないのである。

また、周囲の反応はそう簡単に予測できるものではない。こちらの「読み」がはずれることなんて、しょっちゅうだ。

だいたい、感性も価値観も性格もまったく違う別人が、他人の頭の中を、ああでもないこうでもないといくらマジメに考えたって、わかりっこない。

「相手はどう思うだろう?」と心配して行動を躊躇(ちゅうちょ)するのではなく、実際に行動に行動を起こして反応を確かめてみる、その”場数”を踏むことがたいせつである。

他人の目や評価が気になる”心配性さん”は、まず思考のスタート地点を「人はどう思うだろう?」から「私はどうしたい? 何が言いたい?」と「私」を主語にした問いかけに切り替えるといい。自分の思い通りに行動できるようになる、と同時に、他人のさまざまな反応を学習する機会も得られる。

反発されて痛い目に遭ったり、自分の思い通りにならなかったり、意外にもうまく事が運んだり、思わぬ賞賛を受けたりする、それが貴重な経験値になるのだ。つまり、人の気持ちをある程度、的確に予測する能力を磨かれるわけだ。

よく、「他人の気持ちを想像する」ことが人づき合いの基本だと言われるが、これはじつは自己主張の積み重ねがなければ実現できない高度なテクニックである。根拠なく人の反応を心配するまえに、自分の行動によって得られる周囲の反応を、「よりよい人間関係のための情報」としてどんどんインプットしていく作業が必要だ。

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▽  レッスン2 何か不安に感じたら、即座にその「原因」を探る

さらに、周囲の反応を気にせずに「私」を主語にして行動する人は、それが周囲に多少の反発を感じさせる言動であったとしても、相手は意外と気持ちよく感じてくれるものだ。「心を開いている」という印象を強く与えるからだ。

「自分が心を開けば、相手も心を開く、だからいい人間関係を築くことができる」、このことこそ人づき合いの基本中の基本だと言えよう。

たとえば、現在メジャーリーグで活躍している松井秀喜選手の「苦渋の決断」を思い出してほしい。私もテレビで「メジャープレーしたい」という気持ちを伝える彼を見たが、その中で彼がふと漏らした、「裏切り者だと言われるかもしれない」という一言に、彼が抱えていた「大きな心配」をかいま見たような気がした。

おそらくジャイアンツの四番打者であり、日本の球界を代表するスタープレーヤーである松井選手は、世間全般という”大きすぎる周囲”にどう思われるかをとても気にしたのだと思う。

私がもし松井選手であったなら、やはり「メジャーに行きたいなんて、ワガママだと思われるだろうか。日本のプロ野球を見捨てたと言われるだろうか。これまで自分を支えてくれたファンがみんな、そっぽを向くかもしれない」などと、周囲の反応をマイナスイメージで捉えて、心配に心配を重ねたと思う。

しかし、彼は「僕がメジャーでプレーをしたい」という自分の素直な気持ちに従った。だからこそ、世間は、

「裏切り者だなんて、思うわけがないじゃないか。たしかに一抹の寂しさを感じるけど、メジャーを舞台に活躍する松井選手を見たい気持ちだって強いんだ。自分の夢に向かってくれ。応援するよ」

と、暖かい拍手を送ったのである。

こういう言い方をすると語弊があるが、世間はハナから、松井選手が将来をどう決めようと、そんなに気にしてはいなかったと思う。「日本に残るのかな、メジャーに行くのかな」と興味津々ではあったが、「しょせんは松井の人生、決めるのは本人だ」と心のどこかで突き放していたはずだ。聞きたかったのは、松井選手の「本心」だったのだ。

だから、彼が逆の決断をしていたとしても、それが「本心」であれば、「さすが松井だ、よく日本に残ってくれた」と喜んだだろう。

世間がマイナスの反応をするとしたら、松井選手が「ファンのためにメジャーへの夢をあきらめて」とか「メジャーで通用しないとカッコ悪い」といった考えから日本に残る、あるいは「臆病だとおもわれるのがイヤ」だからメジャーへ行く、などの決断をした場合だったのではないだろうか。

自分を抑えすぎたり、自分をよく見せようと取り繕ったりする行動を、周囲はけっして評価しないのである。

ようするに、他人の目や周囲の反応を気にしても、「心配多くして益少なし」だ。

どんなに心配しようとも、周囲は「人の顔色ばかりうかがっていないで、もっと心を開いてくれよ。つき合いづらいじゃないか」と感じるだけである。

また、世間の反応を気にしすぎる人は、自分自身に向かって「なぜそう思うのか」を問うてみるといい。「こんなことをしたらバカにされそうだ」というところで思考を止めずに、即座に「どうしてそう思うんだ?」と自問自答するのだ。そうすれば、予測の根拠がいかに曖昧であるかに気づくはずだ。

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▽レッスン3 たとえば、三回に一回は「ノー」と言ってみる

人は誰しも、周囲からよく思われたいものである。私も同じ。知り合った人みんなから好かれたいと願っている。これは人として、当然の願望だろう。

問題は、人によく思われたいがゆえに、自分の欲望をガマンしてでも周囲に迎合しようとすることである。

前述した通り、まわりの人が何を望み、何を考えているのかは、直接聞いてみるか、行動に対する反応を見てみるかしなければわからない予測不可能のことなので、たいていの場合、心配は徒労に終わる。好かれるどころか、逆に嫌われたり、いいように利用されたり、といった結果を招くことさえある。

ここで、「人に合わせて行動するうちに、自分が何をしたいのかがわからなくなってきた」と悩む男性、建設会社に勤める賢治(けんじ)さん(32歳)の例を紹介しよう。

「僕は会社員になってからずっと、みんなに”いい人”だと言われてきました。それはそれで悪い気はしないのですが、僕は結構ムリをして周囲に合わせているわけだから、だんだんと『すこしはこちらの気持ちに配慮してくれてもいいんじゃないか』という不満がたまってきました。

飲み会のときだって、誘えばぼくは黙ってついてくると思っているから都合も尋ねもしません。仕事も、人がイヤがる雑用ばかり押しつけられます。僕が断れない性格だと知っているからでしょう。意見を求められることも、ほとんどありません。『聞いてもムダ』という感じで無視されます。

僕としては、何か頼まれれば引き受けてしまうのは、『断って相手を困らせたら悪いなぁ』と思うからだし、意見を求められたときに口ごもってしまうのは、『人に変だと思われたらどうしよう。みんなと考えが食い違ったらどうしよう。トンチンカンなことを言って笑われたら』などという心配が先に立つからなんです。

近ごろはもう、自分の意思で気持ちを抑えているというより、周囲に僕は誰にも逆らわないと決めつけられているようで、”いい人”ではなく単に”都合のいい人”なんだと落ち込むようになりました。

でも、”言いたいことが言えない自分”に自分で慣れてしまったせいか、自分が何をしたらいいのかもわからなくなってきた、というのが現状です」

頭を抱え込む賢治さんだ。自分の評価を精いっぱい心配した結果が、いまの状況というのは、ほんとうにお気の毒だと思う。

しかし、言葉はキツイけれど、これは「賢治さん自身がまいたタネ」である。彼が自分を変えないかぎり、周囲はますます増長して、いいように使われるだろう。

「自分のほんとうの気持ちがわからなくなっている」賢治さんは、いささか”重症”だが、いまからだって遅くはない。つねに「自分はどうしたい?」と問いかける習慣をつければ、人の目や周囲の反応を気にせずに行動できるようになる。

もちろん、世の中にはガマンして人に合わせなければならないことも少なくはない。

私だって、「何でもかんでも自分の思い通りにしなさい」とまでは言わない。行動をためらう判断基準が、人の目や、否定的な予測に基づく周囲の反応にあるなら、「ガマンせずに、思う通りに行動してみよう」と提案したいのだ。

「自分はどうしたい?」という自分のほんとうの声を「聞き取る」コツは、最初に「私は」を主語にしてイエスかノーかを明確にすることにある。そのうえで、理由を考える。さらに、自分としては望んでいないけれど、やむをえず思い通りに行動できない事情があるならば、自分の望みが拒否されたらどうするかを考える。そういう思考パターンを身につけるといい。賢治さんの例で言えば、

「今日は飲み会に行きたくない。理由は体調が不良だから。相手がイヤな顔をしても、ノーを伝えなくては自分が苦しい思いをする。僕が行かないからといって、そんなに困った事態になるわけではない。正直に『具合が悪い。またの機会にするよ』と言えばいい」

「雑用を押しつけられても困る。やりたくない。理由は、自分の仕事で手いっぱいだし、今日は約束があって早く帰りたいから。現状を伝えて断り、それでも『助けてくれ』と頼まれたら、『六時半までにできる範囲でいいなら』という条件付きで引き受けてもいい」

「会議のテーマについて、僕には言いたいことがある。受け容れられるかどうかという問題は二の次だ。勇気を出して、意見を言おう」

というふうに考えるのだ。

自分の気持ちを、いかに行動に結びつければいいかが見えてくるはずだ。慣れてくれば、わざわざ構えて考えなくても、自然と自分の気持ちに忠実に行動できるようになるだろう。

賢治さんも目下、このトレーニングに取り組んでいる。まだ「ガマンしたり、同調したりする」くせは完全に抜けきっていないものの、「三回に一回は、周囲を気にせずに自分の考えを言って、行動に移せるようになってきた」そうだ。

「みんなも、最初はすこし戸惑っていたようです。でもこのまえ、同僚の一人から『お前、わかりやすくなったな。ハッキリ言ってくれたほうが、こっちも気楽だよ』と言われました。だんだんに、意見も聞いてもらえるようになってきたし、僕が発言することで会話にも広がりが出てきました。

自分が変われば、周囲も変わるんですよね。

もっとも、手痛い反発を食らったり予期せぬいい反応があったり、自分の思う通りに行動した結果はさまざまですが、やってみなければ、言ってみなければわからないことがたくさんあると再認識しました。さらなる進化を目指します」

以前より、ずっと表情が明るくなった賢治さんである。

彼が言うように、周囲の反応というのは、実際に行動を起こしてみなければわからないことが多い。マイナスの反応を心配せずに、「当たって砕けろ」くらいの気持ちでいてちょうどいいくらいだ。

私にしても公的な役職を引き受けていると、先輩の目を気にしながら職務をこなすこともあった。人に推されて就いた役職であればなおのこと、自分がイヤになることもあったが、それくらい気配りして仕事をこなしてちょうどよかったのかもしれない。

しかし、決断すべきときは、自分の判断を最優先しなければならない。批判は人間社会や組織であればつきものだ。いちいち心配してもキリがない。

何につけ、「行動なきところに結果なし。結果はあとからついてくる」もの。いらぬ心配がすぎていい人ぶるのもほどほどにしたい。