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目を覚ますと、やわらかな日差しが部屋に広がっている。窓を開けて外の空気を深呼吸する…。小鳥のさえずり、さわやかな風、遠くに見える山々にはうっすらと霞(かすみ)がかかり、空に浮かんでいる雲をぼーっと眺める…。おそらく、いちばん簡単で安上がりなストレス解消法だろう。

「ああ、うらやましい…。できれば、毎日、そんな朝を過ごしてみたいものだ」と感じたら、それは日々の生活で、、気がつかないうちにストレスをためている人だ。もう本を閉じて、きょうは早く寝てはどうか。あしたの朝に備えることを許可する。

実際、私たちは、そんな穏やかで静かな朝を迎えたいと思いながら、なかなかうまくいかない。

子どもに、「いい加減に起きなさい!」「早く御飯を食べなさい!」「顔は洗ったの? 遅刻するわよ」と大声を張り上げ、ばたばたとしたなかで大切な時間を見失っている。

あるいは、「きのう、あんなに飲むんじゃなかったなあ。あ、あ…頭が痛い」という生活を送っている人も多いのではあるまいか。

朝というのは、大切な時間だ。古いことをいうようだが、医者としての立場からも「早起きのススメ」を実践してほしいものだ。

ゆとりのある朝を過ごすと、自分の心にもゆとりが生まれてくる。それは、庭の草木が水を与えられるようなもので、一日中何となく気分よく過ごせるのである。

心が枯れることもない。ちょっとイヤなことがあっても、いらいらしないで現実的な対処ができるし、ストレスを引きずらない。

人と会うとストレス解消になるというケースもあるが、そんな人ばかりではないことは、あなたがいちばんよく知っているはずだ。

ゆとりのない朝を毎日のようにつづけていれば、心は枯れていく。水不足で、庭の草木が枯れるようなものだ。

心が枯れていけば、きれいなものを見てもきれいだとは感じない。それは人の気遣いや優しさを理解できないことに通じ、ある人を逆恨みしたり、小さなことを根にもつことにつながっていく。

「早起きは一生の得」である。たったこんな、何でもない習慣が、あなたを「人生の袋小路」に迷い込ませないのである。私も、もう寝ることにしよう。

【よく眠る人は、イヤなことには忘れっぽい】

前項につづく。私は寝つきがいい。ふとんの中に入って、「さて…」と、趣味の航空雑誌を聞くが、一ページのコラムを読み終えたこともない。場バタンキューである。

さて、病院には、不眠で悩む患者さんが多くやって来る。不眠といってもいろいろあって、夜中に何回も目を覚ます、寝つきはいいが夜中に目を覚ましたら朝まで眠れない、寝つきが悪くて朝まで一睡もできないこともある、など、さまざまだが、眠れない、寝つきが悪くて朝まで一睡もできないこともある、など、さまざまだが、この「寝つきが悪い」という患者さんに共通していることがある。

些細なことにくよくよと悩み、イヤなことが頭から離れないということだ。これは性格的なことが大いに関与しているが、物事は悪いほうに考えていけば、どんな最悪な結果にも結び付けられる。たとえば、取引先の担当者を怒らせてしまったとする。

「あしたは課長に叱られるなあ。まあ、自分の責任だからしかたないか」と、さして気にしない人もいるが、「ボーナスの査定に響くかなあ」とくよくよする人もいるだろうし、「オレの出世が…」と悲観的になる人もいる。「クビだよ、クビ…」とまで考えて、家のローンの算段を考えていたら、たしかに眠れまい。

人と話をしたり、テレビを観ているときはすっかり忘れているのだが、ひとりでベッドに入った瞬間に、思い出したくないことが、条件反射のようにどこからともなく浮かんでくるというから困る。「何も考えない」ということができないのである。

三週間に一度、定期的に私に会いに来る患者さんがいる。とはいえば、私は、この患者さんに治療らしい治療はしていないから、申しわけないような気もするが、

「先生と会って話をすると、夜、よく眠れるんです。三週間はもちます」

というから、「ああ、そうですか。それでは…」と、患者さんの話を、うなずきながら聞いているだけである。私は、いわば「人間睡眠剤」に徹しているのだが、この患者さんは、私に悩みやらイヤなことを話し、いいたいことをいうことによって気が大きくなり、ふとんに入っても、あれこれ悩んだりはしなくなるということらしい。

眠れない人というのは、よくも悪くも、繊細で頭のいい人が多い。トラブルが起きたら頭を働かせて乗り切ろうとするのだが、それが仇になっているようにも見える。

よく眠るということは、イヤなことを考える時間をなくすということだから、それだけでも幸福といえよう。ある人は、自分が大の字になって眠っている姿を思い浮かべながら眠ると、すぐ眠れるそうだ。イヤなことを考えるよりは効果がありそうだ。

【実力で生きている人は、根にもたない】

ある会社で行われた四月一日の朝礼での話である。

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