「もったいない」=「捨てる技術」である
「捨てるのは、もったいない」という人がいる。
一理ある。大根の葉っぱを捨てるのはもったいないから、「葉っぱは取らないでおいてちょうだい」とスーパーから家へもち帰り、細かく刻んで、油揚げといっしょにゴマ油で炒めて、惣菜を一品こしらえる。
葉っぱつき大根と、葉っぱなし大根、値段は同じでありながら惣菜が一品増えたのだから、これは「もったいない」でモノを有効活用する知恵といったところだ。
大根の皮を捨てるのももったいないから、これもキンピラにしてしまう。なおさら、よい。ここまで食べ尽くしてやれば、大根も本望だろう。心置きなく成仏できる。
三年前に買ったスーツ、晴れ晴れとした気持ちで着ていったが、職場の同僚からの「あなたって趣味悪いね」とのつれないひとことで、「もうこんなスーツ、着ない」と、それ以来一度も袖を通さずにいるスーツ。
自分はもう着ることもないだろうが、捨てるのは「もったいない」から、ボランティアでリサイクル活動をしている人にもっていってもらう。まだ利用価値があるのであれば、これも有効活用である。
モノである限り、必ずどこかに使い道がある。たとえ着古した背広であっても、雑巾にするという方法もある。パッチワーク用の生地にして、テーブルクロスをこしらえるというやり方もある。工夫次第で、どうにでもなる。
だが、中にはこんな人もいそうではないか。
「捨てるのは、もったいない」と大根の葉っぱをもって帰って、そのまま冷蔵庫の中に放り込んだままにしておいて、葉っぱを枯らしてしまう人。
着なくなった背広を「捨てるのはもったいないから、今度リサイクルに出すから」とはいったものの、そのままタンスの肥やしにし続ける人。
これでは困る。せっかくおいしく食べられるものを食べられなくするほうが、せっかく利用価値のあるものをタンスの肥やしにしておくほうが「もったいない」ではないか。
「もったいない」といいながら、自分が「もったいない」ことをしている。
おそらくは思い違いをしているのだ。
「もったいない」とは、「捨てないで、取っておく技術」ではない。
「もったいない」というのもある意味「捨てる技術」なのである。
大根の葉っぱを、食べて「捨てる技術」だ。
タンスの肥やしとなっているスーツを、リサイクルに出して「捨てる技術」だ。
決して、捨てないでおく、取っておく、溜めておく、技術ではない。さらにいえば
「活かすために捨てる技術」。
これを思い違いするから「もったいない」で、不要なモノを溜め込むことになる。
整理のつかない、ゴチャゴチャした環境で、息苦しい思いをしながら暮らしてゆかなければならないことになる。
「モノを大切にする」=「モノを使う」である。
モノは使いきってこそ「モノを大切にする」ことになる。「捨てる」ところまで有効に使いきってこそ、である
ただ「もっている」だけでは、モノを大切にすることにはならない。
中国に、こんな笑い話があった。
あるケチな男は毎日、靴下をはかずにすごしていた。靴下をボロボロにしてしまうのが、もったいないというのだ。
さてある日、いつものように靴下をはかずに知人の家へいった。
家の前で犬がワンワン吠え立て、駆け寄ってくると、男の足に噛みついた。見ると、足から血が流れている。
そこで男はひとこと、「ああ、よかった」。なぜかというと「もし靴下をはいていたら、靴下に穴を開けられているところだったぞ」という。
まあ、そこまでの覚悟と根性があるのであれば、モノは使わずに、ただ「もっている」だけでも可としよう。
しかし考えてもらいたい。大切にタンスの中にしまっておいた靴下は、そこで虫に食われて穴だらけになっているかもしれないではないか。
いや、きっとそうなっている。そういうことならば犬に食われてしまったほうがいいではないか。おそらく靴下に守られて、足から血を流さずに済んだだろうに。
だいたいモノというものは、大切に保管しておくよりも、使ってやったほうが品質が長もちする。保管しておくほうがかえって早くボロボロになり、ダメになるものだ。
現に、こんな笑い話だってある。
これもドケチなことで有名な、ある老人。老人がポケットから財布を取り出して開けてみると、中から蛾が三匹這い出してきた。
それを端から見ていたある人、「ある爺さん、あんまり長いあいだ財布を開けなかったもんで、中でさなぎから羽化しちまっていたんだよ」。
金が減るのを惜しんで、財布を使わなかったから、いつの間にかそこに蛾が寄生したというわけである。
「使わない」より「使う」ほうが、モノは長もちする
医学用語に「廃用性萎縮」というのがある。
骨折をしてギブスをはめることになると、ギブスをはずす頃にはその部分の筋肉がすっかり落ちている。長期間使わなかったため、衰えてしまったのだ。
痴呆の原因のひとつに、この廃用性萎縮を挙げる人もいる。頭も筋肉と同様に、使わないと衰えが早い。
モノにも「廃用性萎縮」が起こるのだ。本皮製の旅行カバンなど、高価なモノだからと大切にしまっておくと、気づかぬうちにカビだらけになっている。
家屋なども、そこに住んでいるうちはなんともなかったのに、長く家を空けていたりすると水道管にヒビが入って水が出なくなったり、壁のどこかが崩れ落ちたりしてくるものだ。
電化製品もそうである。ひと月ふた月使わないでいると、電源を入れてもウンともスンともいわなくなる。しょっちゅう使っていたときには、そんな故障はまったくなかったのにだ。
私は、こういいたい。モノを大切にするなら「使え」と。
使われることもなくボロボロになって捨てられるより、使われきってボロボロになって捨てられるほうが、モノとしては本望だろう。
そして私たちにも、充実感が残る。
使うことがモノと私たちの、いい関係を築くことになる。