「心配性の虫」は、自分に自信がないときに大暴れする、という特徴がある。
人は自信を失うと、気持ちに余裕がなくなり、行動量が衰える。そして行動できない自分に苛立ち、ますます心のゆとりを失う。この悪循環を断ち切っておかないと、
「心配性の虫」は「居場所を得たり」とばかりにあなたに忍び寄ってくる。
こういう事態に備えるために、自信を取り戻しておくのも一つの心配撃退法だ。
むずかしいと思われるかもしれないが、これを簡単にできる方法がある。「やる気」が起きやすい、好きで得意な作業に没頭するのだ。
何も大それたことに眺めというのではない。手軽に、簡単に取り組める、ちょっとした遊びでいいのだ。たとえば、
「足に自信がある。五キロや六キロ歩くのなんて、どうってことはない。よし、休みの日に山手線一周ウォーキングをしてみよう」
「自慢じゃないが、手先が器用だ。よし、犬小屋を手づくりで新調してやるか」
「会社では整理上手できれい好きと評判だ。よし、家中をピカピカにしよう」
「これでも昔は書道が得意だった。よし、久しぶりに半紙に向かってみるか」
「写真は昔、かじったことがあるんだよ。なかなかいい腕だと誉められたこともある。
よし、近場に撮影旅行に出かけよう」
など、何だっていいのだ。
とにかく自分が好きで特異なことをすれば、知らず知らずのうちに熱中してうつうつした気分が晴れるし、いずれ自信がみなぎってくるだろう。
▽ストレスを「別のストレス」で解消する法
肉体労働の多くが機械に置き換えられていることもあり、現代人は総じて、体を使う機会が少なくなってきている。体が疲れる、ということが曖昧なのだ。
しかし、その反面、心と頭はさまざまなストレスを受けてたっぷりと疲れている。これは「心配性の虫」にとって、ひじょうに好ましい状況だ。
となると、心の疲れをもたらすストレス物質を分解してやるしかない。どうすればいいだろう?
一言で言えば、体にストレスを与えることをすればOKである。
というのも、ストレスというのは、別のストレスで解消できる声質があるからだ。
よく、「疲れたから、休日は寝て過ごす」という人がいるが、それで疲れがスッキリとれるだろうか? おそらく、「あんなに寝たのに、まだ疲れている」と感じるのではないかと思う。体を疲れているのならともかく、心が少々疲労気味ならば、むしろ体を動かしたほうが疲れはとれるのである。
「体の疲れはホントに、心の疲れをほぐすんですよ」と顔をほころばせるのは、システムエンジニアとして、平日は日がな一日中パソコンに向かっている道隆さん(36歳)である。
「とても神経を使う仕事なので、体を動かしているわけではないのに、ぐったりと疲れるんです。だから昔は僕も、休日はごろ寝派でした。
でも、一度、友人に誘われて休みの日に草野球に行ったんです。イヤイヤでしたが、いざ試合が始まると夢中になって走り回り、終わってみるとじつに爽快な気分でした。
もちろん、体は疲れているんですよ。だけどキモチイイ。こういう心地いい疲れというのを、ずいぶん長い間忘れていたなと思いました。
これはいいなと思って、いまは仕事帰りも三、四駅分を歩いてみたり、バッティングセンターで一汗流したりしています。一日の仕事疲れが吹き飛びますね」
道隆さんは爽やかな笑顔で語る。あまり過激な運動だと体が疲れすぎて、心と体がともにバテる危険もあるのでおすすめできないが、彼のような軽い運動なら、ストレス相殺にもってこいである。
それに、体が疲れると、夜もぐっすりと眠れる。少々の心配事があっても、眠気のほうが勝って、クヨクヨと考えるムダな時間を過ごさずにすむだろう。
私自身も、ストレスは「STRESS」でやっつけるようにしている。STRESSとは、「スポーツ、トラベル、レクリエーション、イート、スリープ、スマイル」の頭文字をとった造語。私が船旅にはまっているのも、これらSTRESSの要素がすべて揃っているからにほかならない。
みなさんもSTRESSでストレスを退散させて、つねに心配事に元気で向かえる自分でいようではありませんか。
▽バカみたいに「ありがとう」を連呼していると—
心の平安に欠かせないもの、それは「感謝の気持ち」である。これがなくなると、
人に対して疑心暗鬼になったり、自分の置かれている環境を恨んだり、不運ばかり気になったりする。いまふうの言葉で言えば「ムカツク」ことだらけの日常になる。
怒る、悲しむ、クヨクヨ悩む…否定的な感情に浸ると、まず最初に消えていくのが感謝の気持ちでもある。
これはいけない。心配事が一気に増えてしまうのである。
そんな事態を防ぐためには、日ごろから意識して「ありがとう」という感謝の言葉をたくさん使う、それがいちばんだと私は思う。
家族も含めて、人と交流しない日は一日だってないはず。感謝するシーンは、日常生活のそこらじゅうにあるのだ。
「物を取ってくれて、ありがとう」
「商品を売ってくれて、ありがとう」
「道をあけてくれて、ありがとう」
「誘ってくれて、ありがとう」
「教えてくれて、ありがとう」
「待ってくれてありがとう」
ほんのささやかな親切にも、言葉を出してちゃんと「ありがとう」を言うと、相手も嬉しいし、自分も幸せな気持ちになるものだ。
さらにムカツクようなことだって、感謝の対象になりうる。
たとえば、渋滞の道路でほかの車に割り込まれた、「そんなに急がなくちゃいけないなんてお気の毒だ。ゆっくり走れる自分は幸せだと再認識できた。ありがとう」。
誰かから叱責を受けたら、自分に非はないとしても、「反省材料をもらえた。叱ってくれてありがとう」
体調を崩して寝込んでしまったら、自分の体に対して、「休もうよ、とサインを出してくれてありがとう」
ふつうならイヤな思いをすることも、自分にとって何らかのメリットがあるはず。
それを探し出して、こんなふうに胸の内で「ありがとう」とつぶやくのだ。
「ありがとう」の一言は、嬉しいことも不快なことも、すべてふんわりと包み込む温かさがある。私も「ありがとう」の気持ちを忘れないことを一つのモットーとしているが、毎日をじつに心穏やかに過ごすことができる。
▽どんなことにも、「この一言」を添えてみる
また、「嬉しい」という言葉もたくさん使うといい。私の知り合いも、「何かにつけて『嬉しい』と言う女性がいて、なかなかいいものだと思っている」などと感想を漏らしていた。
彼女は、「嬉しい」と言いながら、自己主張をしたり、相手の不安を和らげたりするのがお上手だそうだ。
打ち合わせの日時を相談していて「来週水曜日あたりはどう? 僕は時間がとれるんだけど」と言うと、「嬉しい。夕方にしてくれると、もっと嬉しい」。
「今日はイタメシでも食おうか」と誘うと、「嬉しい。でも、中華も嬉しい」。
「資料を用意したんだけど、コピー機の調子が悪くて、見えにくいんだよね」と申し訳なく思いつつ言い訳すると、「嬉しい。見えにくいコピーが欲しかったのよ。イヤでも一生懸命に読むから」。
「急な用事がはいって、約束をドタキャンしなきゃならない。ごめん」と謝ると、
「楽しみが先延ばしされる部分では嬉しいかな。いつに延期するか、いま決めてくれると嬉しいんだけどどな」。
といった具合。ここまでのレベルに達すると、何があっても「嬉しい」と感じられる自分になれるので、心配事さえも「嬉しい」と受け容れられそうである。
ここまで読まれていかがだろうか。私でもいまだに心配事は尽きない。それでいいのである。だからといって、しかめつらをしているわけではない。ニコニコすることを心がけている。「先生の笑顔を見ると元気が出る」と言ってくれる人もいる。そう言ってくれると私も嬉しい。
心配事とは一生のつき合い、。どうせなら、「心配事をありがとう。生きるエネルギーが倍増する。嬉しい」という気持ちで向き合いたい。
「心配事を味方につけること」、それがいい面を発揮しつつ、心配性の性格を変える極意なのである。