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button-only@2x 「くよくよ」を寄せつけない、ちょっとした工夫術

心配、悩みの「芽」は早めに摘み取る

人の体は、疲れると風邪をひきやすくなる。かなり疲れると、免疫力が低下して重篤(じゅうとく)な病を招いてしまうこともある。体力の衰えが、悪性の病原菌の居場所をつくってしまうからだ。心配性もある意味で、そういう病原菌のようなところがあって、疲れた心に襲いかかる面が多分にある。

たとえば、気分がいいときなら、むずかしそうな仕事でも「がんばろう」という気になるが、落ち込んでいるときだと「うまくやる自信がないな。失敗したらどうしよう」と心配になる。

苦手な接待にゴルフに行かなければならないようなとき、ゴキゲンな毎日「目指すは運動不足の解消。スコアはどうでもいいや」と鷹揚(おうよう)に構えられるが、気分が滅入っているときだと「またみんなにヘタクソだと笑われる。数えられないくらい打つハメになるかもしれない」と心配になる。

こんなふうに、精神状態があまりよくないと、ゴキゲンなときは気にしないようなさまざまなことが心配になってくる。そういうものなのだ。

しかし、これは逆に言えば、精神状態状態がよければ、さほど深刻に心配せずにすむということだ。言い換えれば、心がゴキゲンになるようなことをしていると、心配を芽のうちに摘み取ることも可能なのである。

そこで、以下に、すぐにできる「心配性を寄せない生活術」をご提案しようと思う。必要以上に心配する気持ちが和らぐこと、請け合いである。

▽映画、マンガ、テレビ…”理屈抜き”で笑えるツールを持つ

まえに「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ」という言葉をご紹介した。繰り返すが、私も同感だ。多少ムリヤリにでも笑っていると、不思議と気分が高揚してくるものである。

逆に、気持ちが落ち込んでいるときは、なかなか笑う気分にはなれない。誰もが笑う冗談を聞いても、ちっとも面白くないし、テレビでお気に入りのバラエティー番組を見ていても興ざめするばかりだが、「気分が落ち込んでいるから笑えないのではなく、笑わないから気持ちがふさぐ」という見方もできる。

こういった人の”習性”を逆手にとって、つまり自分を笑うように仕向ければ、人は楽しくなると私は思う。

そこで、大笑いのすすめだが、私は日常生活の随所に、「笑う」ことを目的とする行動を取り入れるといいと考えている。世の中には、思わず大笑いをしてしまうようなイベントがあふれている。映画、漫画、テレビ、芝居、寄席などを見るとか、会うとバカ話で盛り上がる友人と飲んで騒ぐとか、何だっていい。「今日は笑うぞ!」という強い意思を持って楽しむまでのこと。「笑う」と決めると、理屈抜きに笑えるものである。

私の知り合いの女性は、「なんとなく気分が冴えないなというときは、私の真剣な心配事さえも、バカだのアホだの辛気臭いだの言いながら、笑い飛ばしてくれる数人」の男友だちと会うようにしている」そうだ。彼女は、

「彼らに大笑いされると、なんだか笑いが伝染しちゃうんですよね。思いきりバカにされているのに、相手は屈託なく大笑いしてるものだから、怒る気分も失せちゃう。気がついたら、彼らといっしょになって自分のことを笑っている自分がいるという感じです」

と言う。男友だちは、高校のときのクラスメートで、人の傷をえぐって笑いで荒療治する”名医”揃いだとか。こういう友人がいるのもいいなと思う。ちなみに、医療の現場では近年、「笑いは心だけではなく、体にもいい影響を及ぼす」ことが認められつつあるのをご存じだろうか。

たとえば、1998年に開催された「アメリカ・ユーモア・セラピー学会」では、ピットマン博士が興味深い研究を発表している。彼は、コメディーショーを見て大いに笑ったグループと何もない下手にただじっと座っていたグループと、それぞれの血液を分析したのだが、結果笑ったグループの人には免疫グロブリンとNK(ナチュラル・キラー)細胞の増加が認められたという。

免疫グロブリンは、体内に侵入する微生物や異物を撲滅する血清タンパク。他方、NK細胞は、ウイルスやガン細胞を排除するリンパ球の一つ。いずれも、病気に対する免疫力を高める物質である。これらが笑うことによって増産されるのだから、笑いは病気の治療につながる、ということになる。

笑いのメカニズムについては、まだその全貌が解明されたわけではないものの、笑うことでも体も健康になることは、医学的にほぼ認められている事実と言えよう。

大いに笑えば、脳内にモヤモヤする”霧”は一気に晴れる。実に爽快な気分になる。それだけ、”心配性ウイルス”に巣食われる危険は薄らぐはずだ。

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▽たまには”思い切り泣いて”憂さ晴らしを

人は悲しいことがあると泣くし、非常に嬉しくて感極まったときも泣く。そうして、心の中で破裂しそうな感情を、ボロボロとこぼれ落ちる涙とともに押し出してやるわけだ。大泣きしたあと、意外と気分がスッキリするのは、感情が解放されるからだろう。

ところが、たいていの人は日ごろ「大の大人が人前で泣くなて恥ずかしい。ガマンしよう」と努力する。すると、外に出られなかった涙が心に逆流してきて、ストレスの巨大な塊となる。涙をガマンするのは心の健康上、よろしくないのである。

それはさておき、「大泣きすると、気分がスッキリする」というのは、心の健康法になりうるものだ。とくに、「なんとなく気持ちがふさいでいるなぁ」というようなとき、その”心のモヤ”を発散させてくれる効果が期待できる。

笑うような気分になれないときは、いっそ思いきり悲しい歌や映画、本んだおに触れて、そこに自分をシンクロさせながら号泣してみてはいかがだろう。

実際、「泣くことがストレス解消策の一つ」だという男性もいる。彼は一見、強面の大男なのだが、「じつは涙もろい」らしい。ただ、「男たる者、人に涙を見せてはいけない」という美学の持ち主でもあるので、泣きそうになるのをガマンすることもしばしばらしい。

「人間、出るものは出さなきゃ、健康に悪い」と思った彼は、「一人っきりの部屋でお涙頂戴の映画を見たり、ぜったに泣くと予想されるテレビのドキュメンタリー番組を録画したビデオを見たり、涙なしでは読めない本を読んで、大泣きする」ことを趣味にしているそうだ。とにかく爆発しそうな感情をため込むことは精神衛生上よくない。

涙はじつは、「ストレスを軽減させる」という学説がある。ストレスを感じると体内にACTH(副腎皮質刺激ホルモン)という物質が生成されるのだが、アメリカのウィリアム・フレイ二世博士が涙の成分を分析したところ、これが涙の成分に含まれていたのだそうだ。

どういうメカニズムかはわからないが、どうやらこのストレス物質は、流す涙の中に溶けだして体外に流出されるらしいだから、泣くと体内のストレスが軽減されて、気持ちがスッキリするのかもしれない。

ストレスに満ちた生活を送る現代人は、意識的にでも、涙が枯れるほど号泣する時間を持つといい。涙はストレス・コントロールに効果的なのだから。