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button-only@2x たとえば、株式投資に向く人、向かない人

生産や建設の現場では、けっしてリスクを冒してはならない。なぜなら、リスクを冒した場合、その結果が人命への危険や環境汚染など、大きなマイナスのダメージにしかつながらないからである。

しかし、「人生の危機管理」におけるリスクには、マイナスとプラス、どちらの結果を生み出すかわからない一面があり、場合によっては「あえてリスクを冒す」という選択肢にも検討の余地が残される

つまり、「人生の危機管理」においては、「リスクをどこまで受け入れるか」を考えることがひじょうにたいせつになってくる。

この点に、株式投資と共通のものを感じないだろうか?というのも、投資家はみな、あらゆる判断材料から値動きや配当を予想して、利益を招かないよう、いかにリスク管理をするかがポイントになるからだ。

賢明な投資家なら、すぐに必要なお金ではなく余裕資金を投資に充てるのはもちろん、購入及び売却時期をずらしたり、複数の銘柄を組み合わせたりしながら、リスクを分散させることに心を砕くだろう。一言で言えば、リスクの許容範囲を考慮して、投資判断をするわけだ。

これができると、損が出たときに「虎の子の貯金が半分に減った。倍に殖(ふ)やして、マイホームのに頭金にしようと思っていたのに、どうしたらいいんだ?」などとあわてることはない。

ショックを受けるのは免れないにしても、冷静に損をした事実を受け止めて、「どうせ寝かせておくお金だから、値が戻るのを待とう」「すこし買い足して、損益をならそう」「いまなら、利益を出している別の銘柄で損失を補えるから、売却して損切りをしよう」といった対策を立てることができるはずだ。

人生を株式投資と同じ土俵で語ることはできないものの、「リスク管理」という視点で見れば大同小異だと思う。

リスクの許容など言うと、むずかしく感じる人もいるかもしれないが、さほどでもない。というより、私たちはつねに、無意識のうちにリスクを考えて行動しているのではないか。

たとえば外食に出かけたとき、私たちは瞬時に、

「ちょっと値段は高いけれど、おいしいという満足感が得られれば高くはない」

「まずくて損した気になったとしても、財布に与えるダメージは、許せる範囲だ」

「給料まえだから、安かろう、まずかろうでもしょうがない。まずくてもともと、おいしければ儲けモノだ」

「このメニューは値ごろだし、まえに食べておいしかったから安心」

といったことを考えて注文している。行動するまえにちゃんと、投資対効果を計算しているのだ。

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▽「リスク」を熟慮するから、逆に冒険もできる!

これを意識すると、「人生の危機管理」は意外とうまくいく。実際、「株や債券への投資を経験したおかげで、投資対効果を考える習慣が身についた」という人がいる。

運輸関係の会社に勤める亮太さん(43歳)である。

「5年ほどまえに、投資関係の本を読み漁って、投資プランを練ったんです。マニュアル通り、自分の未来年表のようなものをつくってね。これがあると、長男の大学入学とか車の買い換え、家のリフォームなんかにいくらかかるかがハッキリするので、いざというときに『金がない!』と困ったりしないようにという視点で計画が立てられるんです。

教育費はぜったい確保しなきゃいけないから積み立て貯金にしようとか、車はかならずしも買い換えなくていいから、資金が貯まればラッキーな株式投資がいい、老後の資金は長期保有で投資効果が高まりそうなファンドにしようという具合に、お金が必要になる時期と金融商品のリスクとを天秤にかけて考えるわけです。」

けっこうたいへんな作業でしたが、いつの間にか物事を投資対効果で見る目が養われたように思います。わかりやすく言うと、この先に予想される危険を回避するために、あるいは危険を乗り越えるためには、どんな投資をすればリスクを減らして効果を上げられるかという視点で、心配事に対応できるようになります。

たとえば、仕事が煮詰まったようなときは、あえて休みをとります。出口が見えないままに時間が過ごすというリスクは、長時間頭を抱えていても、休んで好きなことしていても同じ。ならば、リフレッシュできるできるほうが投資対効果は高いと考えるからです。

また、営業成績が心配なときは、『とにかく訪問回数を増やそう。すぐに成績に結びつかなくても、人間関係は増える』とか『契約が取れなかったら、一件につき1000円貯金してみようかな。成績が悪くても、お金が貯まる楽しみはある』といったことを考えます。

投資対効果と言えばカッコよく聞こえますが、ようするに自分の時間と労力を投資する以上は、何らかのリターンを求めようという姿勢です。転んでもただでは起きない、みたいな考え方ですね。この言葉、僕の中では心配を克服するおまじないのようなもの。あらゆるリスクに立ち向かう元気が湧いてきますよ」

しかし亮太さんは、「あまりにもリスクが高く、自分で背負いきれないと判断すれば、撤退する勇気も必要です」と言う。事実、彼は会社に早期退職の制度が持ち上がったとき、同僚の一人から「二人の退職金を元手に独立しないか」と誘われたが、迷った末に断ったそうだ。

「当座の運転資金のために蓄えを吐き出さなくてはならないし、事業が失敗した場合のリスクは、とうてい自分には背負いきれない。退職金がパーになるどころの話ではありませんから。

それに、僕にはそもそも独立する目的が見出せなかった。人から社長と呼ばれる人物になるとか、事業の成功者となってすこしばかり金持ちになるといったことを強く願っているわけではないから。たしかに魅力的な誘いだけど、僕にとっては投資対効果がないなと感じたんです。」

となると、この先、退職金は出ないかもしれないというリスクを抱えながら、いまの会社で働くほうが、当面の生活は安泰だから投資対効果は高い。もしリストラされたり、会社が倒産したりするような不幸に遭っても、そっちのほうが立ち直る余力が残るしね。

ま、成功した場合の幸せが思い描ければ、僕もそれなりのリスクを許容できたと思いますが、そこまでの気持ちがなかったということでしょう。株でも、エマージェンシーなのは手を出さないんですよ」

亮太さんが言うように、リスクの許容範囲というのは人によって違う。それが受け容れられるものならだ、投資対効果を考えた意味のある行動に結びつけることができるが、とうてい受け容れられないリスクでは行動のしようがない。

”心配性”さんは、その辺のリスクを熟慮して判断できるはずである「受け容れられるリスクを受け容れて、精いっぱいがんばる」、それが心配性へのベストな対応だと思うが、いかがだろう。

私もバブル期に、東京の四谷にあった自宅兼診療所を子供のすすめでビルに縦替えた。そのあとの運営は子供に一任しているので、よかったのか悪かったのかはわからない。

その後、府中の病院敷地内に家を建て、大家族で暮らしている。そういう意味では、よかったかもしれない。この最終決断は私の判断だ。将来への不安はあっても、決断すべきときはある。そして、その決断が正しい方向へ行くように努力することが大切なのだ。