▽「過去」は変えられず、「未来」はわからない
これまで主に、心配性とのつき合い方についてお話ししてきた。とかく、マイナスイメージで捉えられがちな心配性という性格も、上手に行動のエネルギーに変換すれば、物事はけっこううまく運ぶものだと認識していただけたと思う。
しかし、あと一つ残る問題は、心配が長引くと、せっかくのいい面がなかなか発揮できないこと。
では”心配性さん”が「つい小さなことがが気になって、クヨクヨ、メソメソしてしまう」気持ちを、早いうちにシャットアウトして、生産性の高い方向、つまり「ワクワク思考」へ変えるにはどうすればよいだろうか。
「心配事の80%は起こらない」と言われているのをご存じだろうか。逆に言えば、
「残り20%は、心配した通りになっていまう」ということだが、悲観することはない。このうちの大半は、心配事をリストアップして整理し、準備を整えて対応すれば解決できるものである。
つまり、手の打ちようのない心配事というのは、ほんの数%に過ぎないと見ることができる。
この数字を聞くと、「言われてみれば、そうだなぁ」と納得するのではないだろうか。実際、過ぎてみれば「あんなに心配するほどのことではなかった」「心配して損をした」と思うことは、自分で認識しているよりずっと多いものである。
そこで、ご提案したいのは、「心配性の虫」が騒ぎ始めたら、「先のことを心配しようがしまいが、明日はかならず、やってきて去っていく」と心の内で唱えることだ。
この言葉は、「心配な将来は避けようがないものだし、どういう展開になろうと、そのときが過ぎれば過去になる」ことを思い出させてくれる。
ようするに、自分の心配とはかかわりなく時間が過ぎていくという事実を確認することで、肚(はら)が据わるのだ。
これに関して私は、すこしまえに見たテレビのCMをひじょうに面白いと感じた。
そのCMの舞台は居酒屋さん。若者たちが大いに盛り上がっているのだが、そのうち一人、また一人と「明日があるから、今日はこれで」と帰っていく。そんな彼らに元気な女性が、「明明日は誰にもあるんだ~ッ!」と叫ぶのである。
もちろん、「明日は朝が早い」とか「明日は重要な仕事がある」といった理由でお酒をひかえるのは、心配に対応する立派な行動なのだが、明日のことを心配せずに飲み続けようとしている女性のほうにむしろ、頼もしさを感じないだろうか。
シチュエーションはともかく、こういうCMの彼女のような開き直りが、”心配性さん”にも少々備わっていると私は思う。
また、アメリカの心理学者リチャード・カールソン氏は、著書『小さいことにくよくよするな!』の中で、「100年後はすべて新しい人々」という考え方を推奨している「いまから100年後を視野に入れると、人生の危機やストレスに対して客観的な視点に立てる」と言うのだ。
確かに氏が言う通り、私たちの心配事など、100年もたてば意味のないことばかり。仕事で失敗しようが、お金がなくて困ろうが、人から嫌われようが、その瞬間を覚えている人や気にする人は誰もいないし、それに苦しむ自分自身ももはや存在しない。
個人のことなどおかまいなしに、時間は流れるのである。気にしてもしょうがない、と氏が言うのも一理あるところだ。
ただし、氏は無気力を奨励(しょうれい)しているのではない。「私たちの行動は、そういうちっぽけなことなのだから、クヨクヨせずに行動し、その結果は甘んじて受け容れようよ。些細なことを、大事に発展させてしまうのは自分自身なんですよ」と言いたいのだと思う。
人生は一度きり、楽しく生きたい。”クヨクヨ色”の時間をわざわざ自分で増やすこともなかろう。
私も、さすがに90歳近くになれば、体の不具合が出てくる。前立腺肥大の二度目の手術もつい最近したし、ひざも悪いので自分の大きな体を支えられず難儀をしている。
しかし、これは老化によって引き起こされてくる現象なのだ。この先歩けなくなったらどうしようと考え心配しすぎてもいけにない。よけいなストレスを自分にかけることはない。病気や老化と共存共栄していけばいい。「明日のことを思いわずらうことなかれ」だ。
▽「過去形」の考え方を「現在進行形」に変える
前項でも書いたように”心配性さん”は、物事を悪いほうへ、悪いほうへと考えるくせがある。「もし失敗したら」「もし重い病気になったら」「もし上司の機嫌を損ねたら」「もし事故を起こしたら」という具合に、先のことを心配するのだ。
最悪の事態に備えるという意味では必要なことだが、心配が頭を去らないようでは気持ちが暗くなるだけ。平常心でいれば難なく過ぎることも、心配した通りの結果を招く危険のほうが大きくなることさえある。
これを私は「言霊効果」と呼んでいる。日本には古来、言霊信仰というのがあって、
「言葉にして発すれば、あるいは言葉にして考えれば、現実にその通りのことが起こる」と信じられていた。
科学的ではないと思うかもしれないが、これがけっこうバカにはできない、医学博士の佐藤富雄氏も著書『自分を変える魔法の「口ぐせ」】の中で、こんなことを言っておられる。
「脳の自律神経は現実と想像上の出来事も、過去・現在・未来という時制も、人称も区別ができないので、想像したことはすべて、実際に起きていることを受け止め、直接体に作用するその想像の内容が『快』であればあるほど、いわゆる快楽ホルモンが多量に分泌され、いい気分とやる気を高めてくれる」
言霊信仰などと言うと、非科学的に感じる人がいるかもしれないが、言葉に大きな力が宿っていることは、科学的にも証明されているのである。
だから、「もし…思考」をするのなら、できればプラスの結果を想像するのがベストだ。スポーツ選手がイメージトレーニングをするように、自分の中で成功の青写真を描く方向で「もし…思考」に臨みたい。
ただ、「心配事があるときにプラス思考をするのはむずかしい」という人も少なくないと思う。そういう人は、「もし○○したら」のあとに続く言葉を「どうしよう」とか「イヤだな」「困ったことになるな」ではなく、「それはそのときのことだ」、あるいは「もし○○しても、なんとかなるだろう」と考えるといい。
気分がぐっとラクになるはずだ。
また、過去を振り返って、あるいは自分の弱点をネタに行う「もし…思考」もいただけない。「もしあの仕事に成功していれば、いまごろ課長に昇進していたのに」
「もし明るい性格だったら、友だちがたくさんできたのに」「もしあそこで転ばなかった、遅刻しなかったのに。評価を下げることもなかったのに」というように、どうにもならない事実を引き合いに現状を心配するのは、無為な時間を過ごすことになる。
そういうマイナスの考えが頭をかすめたら、すぐに肯定的な言葉に言い換えるといい。何のことはない、「課長に昇進するチャンスが近づきつつある」などと、現在進行形で考えるだけでOKだ。少なくとも、後ろに向いていた気持ちを前に向かせる効果は期待できる。