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button-only@2x 「どんな人でも会えば意外といい人」の法則

こんなふうに、人と会うときに素直に笑顔を向けられるようになるには、相手に対してあまりマイナスの先入観を持たないことも必要だ。

とくに初対面の人に会うとき、周囲から「気むずかしい人なんだよね」とか「すぐに怒るんだ。コワイよ」「人当たりはいいけど、お調子者で信用できないなぁ」なんて、あまりよくない評判を聞いていると、”心配性さん”はそれだけで萎縮してしまう。評判が新たな「心配のタネ」になるからだ。

いい評判なら、心配性もすこしはおさまるだろうが、そうではない場合は情報などないほうが、むしろすんなりと笑顔で対面することができるはずだ。「会ってみると、意外といい人だった」なんてこともよくある。

人づき合いというのは、自分が相手をどう感じ、どう評価するか、その第一印象から始まるのがスジである。よからぬ評判を真に受けて、自分もイヤな思いをするかもしれないと心配するより、「他人にとってどんな人かは関係ない。自分が親しく話をできるかどうかが心配なんだ。なぜって、親しくなるために会うのだから。さて、どうしよう」と心配するほうが有益であることは言うまでもない。

カメラマンの広志さん(38歳)は、「仕事柄、毎日のように初対面の人に会う」経験を通して、「初対面の人でも、何度か会って苦手だなぁと感じた人でも、会うときはいつもその人に関する”色眼鏡”を捨てるようにしている」と言う。

「仲間内ではよく、取材相手に関して、『オレ、取材したことあるけど、感じ悪いんだよなぁ。笑わないんだよ。写真嫌いみたいで、早く終われと言わんばかりだし』なんて話が出ます。僕も若いときはそんな話を聞くとビビッて、『いい写真が撮れなかったら、どうしよう』と心配したものです。」

でも7~8年まえかな、悪い評判しか聞かない人物の取材をしたとき、開き直ったんですよ。僕はいい写真を撮りたいんだ、そのためにも相手に心を開いてもらいたいんだ、評判のいい人に会うことが目的じゃあない、と。

いっしょに行く記者もかなり不安そうだったので、『君だって、相手の話が聞きたいから会うんだろ? 二人して会いたかったという素直な気持ちで対決してみようよ』と言いました。二人で『ヨシ!』と肝が据わりましたね。ともに挑戦する仲間がいたことが、とても心強かったですね。

で、実際に会ったときに、ニコニコ顔をして関口一番、大きな声で『こんにちは。今日、お会いできることを楽しみにしてました』と挨拶したんです。すると、ふっと相手の表情がゆるんだんですよ、ほんのちょっとだけ。それでこちらもフーッと安心して、話が始まりました。

一筋縄でいかない人でしたが、記者も『それは愚問だね』とか、「君はそんなことも知らないのか」とか言われてもへこたれずに、『私、勉強不足ですね。でも、知りたいんです。教えてください』なんてニコニコ顔で返したりして。

カメラのセッティングをしていた僕も、話が一段落したところで、『お話ししている間に、何枚か撮りたいんですが、いいですか?』と、彼に負けない笑顔で尋ねたんです。相手は『いまじゃなきゃ、いかんのかね』とたちまち不機嫌になりましたが、ひるまずに『はい、どうしても。自然な表情を撮りたいんです』と答えました。『勝手にしたまえ』と言葉は乱暴だったものの、イヤな気持ちにはなりませんでしたね。

相手の顔は笑っていたので。

そんなふうに接していたら、だんだん相手の、人を拒絶するバリアがとけていくような感じでした。きっと、話を聞きたいという純粋な気持ちが伝わったんだと思います。もし悪い評判を気にして接していたら、向こうもますます不快になったんじゃないかな。

最後、決めカットを撮るときには、「何枚撮るんだよ。もういいだろ」と言いながらも嬉しそうで、僕も『いや、フィルムを日本分撮るのが社の決まりなんです。一週間分の笑顔をください』なんて軽口を返せるくらいに打ち解けていましたね」

広志さんはこのときの経験から、「自分が心を開けば相手も心を開いてくれる」ことを実感。取材対象者のみならず、会う人に対して先入観を持たずに接してるという。

もちろん、たまには「どうしても受け容れてくれない人がいる」とのことだが、そういう人に対しても「こちらは相手が心を開くのを待つだけ。次に会うときも苦痛ではない」そうだ。

「会うのが不安だなぁ」と感じさせる人は、たいてい無愛想で口数が少なく、気むずかしい人だろう。そういう人は、相手が自分を怖がる気持ちにとても敏感である。というのも、いつもそれを心配しているからだ。

そして案の定、怖がられると、「この人も打ち解けてくれない」と思い、ますます

心を閉ざしてしまう。逆に言えば、何の恐怖心もなく懐に飛び込んでくれる人を待っている、という見方もできる。

広志さんのように、たとえ会う人に関する芳しくないウワサを耳にする機会があったとしても、そんな”色眼鏡”は捨て、ひるむこともなく「自分流」に親和の情を示せばいいのだ。

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▽「対人関係距離」は、これほど大事

ただし、相手の評判はともかく、プロフィールや趣味・嗜好などのデータはあらかじめ仕込んでおいたほうがいい場合もある。相手を喜ばせる話題選びに役立つからだ。

私もお会いした方に、「すこしまえに山形の鳥海山に登られたそうですね?」なんて質問をされると、私に関心を持ってくれているのだなぁと思い、ちょっぴり嬉しい。

一生懸命に話したくもなる。

しかし、知りすぎているのはよくない。つい会話の端々に、「直接聞いたわけではないけれど、知っているつもりになっている」ような発言が出てしまうので、身上調査をしたのかと思われたり、話を先回りされて不愉快な気分にさせたりすることもある。

それが間違った情報なら、なおさらである。

たとえば、初対面の人に「私、じつは面白いことを経験しましてね」と話をしようとしたら、いきなり「あ、あれでしょ。メキシコに遊びにいらして、ひょんなことから現地の人の家に泊まることになった、とかいう。聞きましたよ、ニワトリといっしょに寝たんでしょ。メキシコはたしか、二度目でしたね」などと言われたら、誰だってイヤだと思う。

「どうして、親しくもない君がそんなことを知ってるんだ」と不安になるだろう。まして、「ほんとうは向こうの人といっしょに、チキンの料理をつくったことを話したかった」などという場合は、プリプリされても当然である。

初対面の人に会うときは、誰もが自分のことを知ってもらいたい気持ちを強く持っているものなので、情報収集の成果をひけらかすのは賢明ではない。

「肉声から相手を知る」姿勢をもって接するのが好ましい。情報の開陳をするとしても、話のきっかけに留めたい。

鳥海山の話を振ってもらえると嬉しい私だって、「あらゆる山を制覇した父茂吉が登ったことのない山だから、なおあこがれが強かった」とか「地元の人が総出で手伝ってくれた」「山頂で芋煮やタケノコ汁を味わい、野点も楽しんだ」「汗をかいて、12時間もおしっこが出なかった」「時計の日焼け後がなかなか消えなかった」なんて

ことまで「知ってます、知ってます」と言われると、ついつむじを曲げたくなるというものだ。相手との距離を上手に取ることがたいせつである。