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button-only@2x 「心配性」だからできる、こんな「いい仕事」

▽心配性の人は「危機管理能力」に長けている

世の中には、心配性でないとできない仕事もある。さまざまな製品工場で行なっている品質管理はその典型だろう。以前、製薬会社の生産現場で、品質管理及び品質保証の仕事をする人にお話しを聞いたが、それはもう「考えられないようなトラブル」まで想定して、綿密にプロセスを検証しておられ、驚いたことがある。参考までに、その話のあらましを紹介しておこう。

「私たちはバリデーションという概念に基づいて仕事をしています。一言で言えば、最終製品の品質だけでなく、あらゆる製造工程で品質が確保されていることを保証する、ということです。」

1970年にアメリカで大容量注射剤による死亡事故が起きて、調査してみると、製品の最終滅菌工程での汚染が原因だとわかったのですが、『なぜ、無菌試験で検出できなかったのか』が問題になりました。

当時は通常、数万の製品から数十個、サンプルを抜き取って検査していたのですが、それでは残りの製品がすべて無菌であることの保証にはならない。抜き取り試験以前に、安定した工程で製造されたという証明が必要だとされたんです。日本でも現在、バリデーションを行なうことは製薬会社に義務づけられています。

でもね、けっこうたいへんなんですよ。原料が製造プロセスを経て製品となって出荷するまで、すべてのプロセスに『この方法で大丈夫?』と問いかけて、『これこれだから大丈夫』と答えられるよう、さまざまな科学的検証を積み上げて文章化するんですから。

しかも、従業員にどんな些細な工程異常でも報告するよう徹底し、その一つひとつのアクシデントを検証して記録に残さなくてはいけないし、工程トラブルは錠剤が0.1ミリ欠けるとか、どんな些細なことでも見逃せません。危険因子との戦いはエンドレスですね」

彼はつねに製造工程を「心配の目」で見ているせいか、「すっかり心配性になった」と言うが、「転ばぬ先の杖をつく慎重さが身についたし、何か起きた場合の対応をきちんと考えられるようになったのは大きなメリット」だそうだ。

建設現場などもそうだが、危険の多い現場では「ヒヤリハット」という言葉が使われる。これは、仕事をしていて「ヒヤリ」としたことや「ハッと」したことをすべて報告し、安全性を確保するための対応につなげるもの。「一歩間違えば、大事故につながる」ことが心配だから、「ヒヤリハット」をやり過ごさない。つまり心配性になろうという姿勢である。

さらに言えば、近年は企業経営のリスクマネジメント、危機管理が注目されている。トラブルを未然に防ぐとともに、何かトラブルが起きたときに備えて対策を立て、それをマニュアル化しておこうという動きだ。

近年は企業経営のリスクマネジメント、危機管理が注目されている。トラブルを未然に防ぐとともに、何かトラブルが起きたときに備えて対策を立て、それをマニュアル化しておこうという動きだ。

企業の不祥事が相次ぐ中、「経営を脅かす要素の何たるかを認識していないばかりに、事故が起きない対策も講じていないし、起きた場合の対応も練られていないから、事実を隠してその場を取り繕うことしか考えられなくなる。もっと危機意識を持って心配しなければイカン」というわけである。

長々とお話ししたが、心配性であることが、危機管理という部分でいかにたいせつかがご理解いただけたと思う。

ただし、単に心配するだけでは何もメリットがないことは言うまでもない。予測される危険に関して、それが起こらないように準備する、また万が一の場合の対応策を練っておく、そうしておいて初めて、心配性が生きてくるのだ。

「心配性の自分が心配」などと言わずに、堂々と心配性ぶりを発揮しようではないか。

▽心配性だから「段取りのいい行動」ができる!

危機管理の目的というのは、主に二つある。一つは、「予測される危険が起きないように手を打つ」ことで、もう一つは「危険が現実になった場合にどう対応すればいいかを考えておく」ことである。これは受験にたとえると、わかりやすい。

受験生にとっての危険は、入学試験に失敗することである。

そうならないように、過去の問題を繰り返し勉強したり、出題の傾向から重点的に勉強すべきところを探り出して、”ポイント学習”をしたり、合格ラインの点数に達するための弱点補強を行ったりする。

と同時に、どこかに合格できるよう、複数の志望校を受験する計画を練る。ひょっとしたら奇跡的に合格するかもしれない学校、うまくいけば合格するかもしれない学校、実力が発揮できれば十分に合格できる学校、すべり止めの学校などをリストアップする。いずれも、受験の失敗という危険が起きないように打つ手である。

他方で、受験生はもう一つの危機管理として、「もし失敗したらどうするか」も考えておくものだ。選択肢は「浪人する」「専門学校に進む」「海外留学をする」「就職する」など、いろいろとあるだろう。この最悪の事態を考慮しておかないと、現実が受け容れられずに、「どうして失敗したんだろう」という悩みから、なかなか解放されない危険があるからだ。

こんなふうに「失敗したらどうしよう」と心配するだけでは危険が去らないことを知っている受験生は、ちゃんと危険を招かないように行動する。それにより、「いま、しなければならないことに力をそそぐ」ことができて、結果的には成功する確率が高くなる。

これはもちろん、受験にかぎったことではない。日常のあらゆる心配事に当てはまる。「心配のタネ」が多いほど、行動しなければならないことが増えるから、いい具合に事が運ぶのである。

ただし、「失敗したくない」ことにとらわれると、不安は募る一方で、本来持っている能力を発揮できなくなってしまう。先のことを心配する自分の心にもう一歩踏み込んで、何が心配かを具体的に考える必要がある。

そうすれば、「今、何をなすべきか」が見えてきて、心配性をリスク管理といういい方向に発展させることが可能だ。

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▽人生はすべて「心配事→対応策」の連続です

ここで提案したいのは、何か心配事が起きたときに、それをテストと捉えてはいかがだろうということだ。これは素材加工会社に勤める充(みつる)さん(38歳)のアイデアで「数年まえに、ちょっと心配事があって眉間にシワを寄せていたとき、同僚から『どうしたんだ、むずかしいテスト問題を前にした子供みたいな顔をしてるな』って言われたんです。一瞬、『え?』と戸惑ったあとに『おっしゃる通り。むずかしいテストだよ、これは』と感じて、やがて『テスト問題を眺めているだけで解けるわけはないな』と気づいたんです。

テストでいい点を取るために勉強するように、いい結果を出すために行動しようと思いました。

そのときはじつは、技術職にある私に営業への異動話が持ち上がっていました。まだ。流動的な段階でしたが、ほぼ決まったも同然。

なのに往生際が悪くて、『もし営業になったらどうしよう』と心配するばかりで、何も手につかなかったのです。

でも、『これはテストだ』と思うと、すこしだけ気持ちが軽くなります。学校で苦手な科目のテストを避けられなかったのと同じで、営業への異動もやむなしと捉えられます。

そこで、何が心配かを考えました。それは一言で言えば、「絵業を経験していないことに由来する自信のなさと、得意科目である技術の勉強が遅れることへの焦り」だったのです。

すると、答えは自ずと出てきます。第一に、とにかく営業は初めてなのだから、やってみなければわからないということです。異動までに営業の友人の話を聞いて、技術出身の自分にしかできない営業ノウハウがないかどうか、自分なりに模索してみようと思いました。また、営業をしながらでも技術の勉強ができる方法もあるはずだ、と前向きにもなれました。

さらに、営業で失敗した場合のことを考えました。ただ、これについては、テストで間違えたところを勉強し直すような気持ちで、失敗に取り組むしかありません。ムリヤリですが、『まぐれ当たりしていい点を取っちゃうより、バツをもらったほうが自分のためになるんだ』と思い、失敗を受け容れる準備が整えられました」

充さんは以来、「心配事は具体的に心配する」ことにしているそうだ。テストをまえに「ここが出そうだ」とヤマを張ったり、「ここが出たら、勉強していないからバツをもらっちゃう」と弱点を補強したり、「ここはどんな問題が出てもどんとこいの実力をつけておこう」と得意分野を増強したりしながら勉強するように、心配をネタに努力目標を決めると、行動するエネルギーが湧いてくるという。

こんなふうに心配事をテストと見なすと、失敗しないよう努力する態勢を整える行動を促すとともに、その結果を受け容れる心構えができる、というメリットがある。

たとえ思うような結果が得られなくても、自分の弱点が明確になる、努力の方向性を問い直すきっかけになるなど、失敗を成功に変えるための知恵を学ぶことができるのではないだろうか。

人生は心配事というテストの連続。直面する問題の一つひとつが、自分を成功させるよすがとなるのである。