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button-only@2x 自分一人の力ではどうにもならないとき

▽「いま自分ができること」に集中する

世の中には、自分一人の力ではどうにもならないことが、たくさんある。たとえば、いまの不景気を心配している人は多いと思うが、自分一人の力で景気を急上昇させることなどとうていムリだ。

また、リストラされたとか、会社が業績悪化により吸収合併された、不本意な異動を受けた、減俸になった、病気になったといった事態も、どんなに心配しても現状を変えるのはむずかしい。

それでも人は、不景気を憂えるし、リストラ・ショックから逃れられないし、減俸されたことを恨むし、病気になったという事実に苦しむ。これは、「事態が好転しないと、自分は不幸なまま。そんな目に遭うのはゴメンだ」という思い込み強すぎて、現状を受け容れられないからである。

お年寄りのうつには、過去のいい思いを忘れられず、現状を否定的に捉え憤慨したり意気消沈したりすることから起こることも多い。

過去のやり直しができないのと同様、自分が身を置く社会や組織という環境、病気のような目に見えない力が働いた結果の不幸などは、既成事実としてそこにあるだけ。簡単に自分の都合のいいようにリセットできるような「心配のタネ」ではない。そういう事態に備えて行動することはできたかもしれないが、目の前に厳然とある現実はもう、自分一人の力ではどうにもならないのである。

この類の「心配性の虫」を封じるにはやはり、とりあえず現状を受け容れることが必要だ。なにも現状に甘んじろと言っているのではない。

「現状はこうだ」と認識し、その憂える現実の中で自分には何をできるかを考える、そういう心の余裕を持つことが重要なのだ〈第4の習慣〉。

現状を認識できずにいると、どうしても人は「社会が悪い、会社が悪い、上司が悪い、病気の温床をつくり出す世の中が悪い」というグチを繰り返すことになりがち。

「自分一人の力でなんとかする」ことができないがゆえに、無力感に襲われる部分もある。だから、「自分にできるのは心配だけ」となってしまうのだろう。

IT関連でベンチャービジネスを成功させた、ある若き経営者は、株式上場に際して日本の規制だからの制度にひじょうに苦しんだ。「未公開のときは間接金融に苦しみ、公開後は資金調達に苦しんだ」そうだ。それにもかかわらず、彼は「簡単に資金が集められる制度がない」ことを云々しない。なぜなら、

「こういう難関を超える知恵と努力、持久力があって初めて、専業はなしえる。都合のいい制度がなければ集めらない者は、事業を成功できない」と考えるからだ。

つまり、彼は事業の行く末を阻む制度を、自らの試練の場と捉えている。だからこそ前進できたのである。

社会や会社に対して、「これはおかしい」と異を唱えることは重要だが、それが一朝一夕に変えられるものではない以上、とりあえず受け容れるしかない。そして「この壁を自助努力で超える」という方向に、考え方をスイッチするのがベストだと思うのである。

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▽ちょっと、”自嘲気味”になるのも悪くない

数か月まえに、本社の花形部署から子会社へ、「不本意な異動」を命じられた商社マン、克己さん(45歳)は当時を振り返りつつ、こんなことを語っている。

「不景気が吹く中、いつか自分も痛い目に遭いそうな予感はありました。でも、漠然と心配していただけなので、いざ現実として目の前に突きつけられると、絶望的な思いにとらわれました。

それから気持ちは『どうして僕なんだ』『会社の考えていることがわからん』『だいたい、業績が傾いたのは僕のせいじゃない』などという怒りに変わり、そのうち『この年で子会社に出向だなんて、サラリーマン生命の終わりを宣告されたようなものだ。

定年まで、20年、”飼い殺し”にされるんじゃないかな』という心配が頭をもたげてきました。

この心配からは、なかなか抜け出せませんでした。そんなある日、久しぶりに高校のクラス会があって。自分が自慢できる状況にいないだけに、同級生と会うのは気が進まなかったのですが、ドタキャンするのも悪いと思って出かけていきました。

結果的にこれがよかった。みんなで近況報告をしていたら、何人か同じような辛酸をなめている人がいて、『リストラでクビになって、いまは退職金を食いつぶしながらの隠居生活。さすがに飽きてきたので、誰か職を紹介して』とか『このトシでやっとマイホームを買って、35年ローンを組んだら、とたんに給料がカットされた。アルバイトを探している心当たりがある人はよろしく』『オヤジが格下げされたっていうのに、子供が金のかかる私立に進学したもんだから、いまごろになって共働き生活だよ。ますます女房に頭が上がらん。息苦しいから休日のオレと遊んでくれ』なんて話が飛び出したんです。

でも、クラス会って昔馴染みの安らぎがあるっていうか、平気で恥さらしできる雰囲気があるんですよね。深刻な問題のはずなのに、笑いながら明るく話せちゃうようなところがね。

会社の中では、そうはいきません。周囲も細かい事情を知っている分、僕にすごく気を使ってるのがわかるから、なお居心地が悪くて、追い詰められた気分になるんです。『笑ってくれよ』という感じで明るく不運話をするなんて、思いつきもしませんでした。

それで僕も、みんなにならって出向話で笑ってもらおうと『じつは出向の憂き目に遭いまして、まったく畑違いの仕事をすることになりました。これまで宇宙を見ていた僕が、今度はエビです』と言ってみました。『腰が曲がるまでやれよ』とか『しこたま、エビを食わせてくれ』なんてヤジが飛んで、不思議と気分が軽くなりましたね。

同病相憐れむじゃないけど、最後は『どうあがいたって、現実は変わんねぇんだよなぁ。でもオレたち、まだまだこれからだぜ。髪の毛が少なくなったり、白くなったり、太ったりしてるけど、社会の中じゃ小僧だよ。与えられた状況の中でがんばるしかないぜ、オーッ!』みたいな感じで、ものすごく盛り上がりました。

このクラス会のおかげで僕も、ようやく不本意な異動を受け容れることができたように思います。『この現実は変わらない』と腹をくくるだけで、ずいぶん気持ちは違ってきます。これから20年続く会社員人生の一つのプロセスだ、どんな仕事だってキャリアはムダにはならない、と思えるようにもなりました」

克己さんはいま、現金な気持ちで新しい仕事に立ち向かっている。

厳しい現実を受け容れるためには、波のように社外の友人たちと深刻な問題を笑い飛ばしてみるのも一つの方法である〈第五の習慣〉

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▽状況が変わらないなら自分を変える— その方法

私にも、笑いに救われた経験がある。それは、10年ほどまえに作家協会の仲間数名とスコットランドに出かけたときのこと。山の中にある古いお城のホテルに宿泊する予定だったが、私たちを乗せたミニバスが途中で故障してしまったのだ。すでに外は真っ暗闇。ドライバーは自力挑戦を試みたものの、うまくいかない。

彼は「しょうがない、近くの町まで行って修理工を連れてくるよ。歩いているうちに一台くらい、車と遭遇するだろう。事情を話せばきっと乗せてくれるよ。ここで待っていてください」と言って、私たちを置き去りにしたのだ。

選択肢がほかにない以上、私たちとしては待つしかないものの、二時間が経過したころにはさすがに心配なってきた。おしゃべりがはずまないことは言うまでもない。

そんなとき、メンバーの一人が突然、「スコットランド民謡を歌いましょう」と陽気な声で呼びかけたのだ。「隗(かい)より始めよ」(物事はまず言い出した者からやり始めるべき)とばかりに、彼女は手拍子を打ちつつ「ロッホローモンド」を、続いて「アニーローリー」歌い始めた。

これが、心配を吹き飛ばす”起爆剤”となった。私たちはそれから、ロシア民謡だのドイツ民謡だの、世界の民謡を次々と昭和し、笑いながら時を過ごしたのである。

もし、彼女の一言がなかったら、「ドライバーはまだかなぁ。もう、帰ってこないんじゃないか」と心配を募らせただけだったと思う。自分たちの力で修理工を呼んでくることもできないし、車を修理することもできない。いくら心配しても、「ドライバーがすぐさま帰ってきたり、車の故障が直ったりするわけではない」とわかっていても、やはり心配をすることをやめられなかったと思う。

「どうにもならないんだから、歌でも歌って、せめて明るく過ごしましょう」という彼女の提案のおかげで、苦境を歌と笑いに紛らわせて忘れることができたのだ。

しかも、いまとなれば、このときの”事件”は楽しい思い出。心配ばかりしていたら、思い出の色も”心配色”になっていたように思う。不運を笑い飛ばし、元気を取り戻そうではないか。

状況が変わらないなら、自分が変わるしかない〈第六の習慣〉