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button-only@2x 「いいな…」「私なんて…」は、不幸の口ぐせ

小さなことにクヨクヨするのは心配性の一つの特徴だが、いつも人と比較してイライラしているというのも精神的な余裕のなさから来ている。

専業主婦になった孝代さん(32歳)も、「いいなぁ、うらやましいなぁ、私なんて…」というのが口ぐせになっているという。

「キャスターのMさんって、私の高校時代の同級生なのよ。彼女が活躍してるのをテレビで見るたびに、私ったら何をしてるのかしらって落ち込むわ」

「主人の後輩がマイホームを買ったのようらやましいわぁ。ご実家の両親がずいぶん資金援助してくれたらしいの。うちの親と大違い。私の社宅住まいはいつまで続くのかしら…」

「また海外に行ったの? 働いて一人暮らししてると、自由でいいわねぇ。私なんて、一生懸命に家事をして子育てしたって、一円にもならないし、遊ぶ時間もないのよ」

「A子がすごい玉の輿(こし)に乗ったって知ってる? このトシまで待ったかいがあったわよね。私のダンナなんて、三流大学出の冴えないサラリーマンでしょ? 明るい未来は望めそうもないわ」

孝代さんは、一事が万事、この調子。人と会うたびに誰かをうらやましがっている。そんな彼女が、最近になって幼馴染の朱美さんから「ブチ切れた!」と説教された。

朱美さんは、”羨望話”にいちいちケチをつけたのだ。

「孝代、キャスターになりたかったの? 違うんでしょ? だったら、どうしてうらやましいのよ。嫉妬の対象にもならないじゃない。

マイホームはさ、いま頭金を貯めてるんでしょ? 親を恨んでどうするのよ。

独身で働くってのもね、そんなにラクなもんじゃないのよ。たしかに自由だし、お金は自分のためだけに使えるし、幸せなことも多いわよ。でもね、孝代には仕事がなくても家族があるじゃない。独身の私から見れば、そのほうがよっぽどうらやましいわよ。

いまのダンナとはさ、好きだ、好きだって大騒ぎして結婚したのよ、覚えてる?仕事を続けるより、家庭を守るほうがたいせつだって、あっさり寿退社を決めたのは、孝代自身よ。明るい未来は、二人で築くものでしょ? 玉の輿がイコール幸せって、すっごく短絡的な発想だよ。A子だって玉の輿狙いだったわけじゃないんだから、失礼だよ、そういう言い方。

とにかく、孝代みたいに人をうらやましがってばかりいたら、そのうち自分がなくなっちゃうよ。他人を妬むまえに、自分の人生を見つめ直したら?」

かなりキツイ言葉である。孝代さんもさぞ落ち込んだことと思う。でも、「薬」になったのもたしかだ。

後日、彼女はスッキリした顔で、こう語っている。

「朱美に言われた通り、私は”ないものねだり”ばかりしてしまいました。単純にうらやましかっただけなんですが、『いいな、いいな』と言い続けているうちに、自分がやりたいことが見えなくなっている、というのも当たっています。

たぶん、まだ独身の友だちが多いから、私は結婚の犠牲になった、あらゆる可能性の道が閉ざされたって、無意識のうちに感じていたからかもしれません。心のどこかにちょっぴり、『私だってその気になれば、バリバリのキャリアウーマンになれたんだわ』という気持ちがあったことも否めません。

初心に帰って…というわけではないけれど、いま、結婚した当初に自分が家庭に対して思い描いていた夢を掘り起こしています。妬(ねた)んだり、うらやんだりしていても、自分が変わるわけじゃないですものね」

孝代さんが他人をうらやみ「いいな、いいな」という口ぐせをやめ、自分自身の「ほんとうの気持ち」と真摯に向き合うようになったのは、じつに喜ばしいことだと思う。

「他人の芝生は青い」のだ。「あいつが悪い」という他罰思考も「あの人がうらやましい」という過剰な嫉妬も根は同じである。つまり自分に自信がないのだ。だから人をけなしたり、うらやましがって、いつも不幸な自分を慰めている。

私はいつも「人生に幸福も不幸もない。幸福と思えば幸福だし、不幸と思えば不幸になるのだ」と言っている。

過剰に人をうらやむのは、人生を生きにくいものにしてしまうことはたしかだ。

button-only@2x 「いいな…」「私なんて…」は、不幸の口ぐせ

▽「自分のための人生」にそろそろ気づきなさい

ビジネスマンにはどうしても、「”出世レース”にエントリーしている」という意識がある。

さほど上昇指向が強くなかったとしても、5年、7年と勤めるうちに「より高いポストと収入を目指すのが当然」という会社の空気に染まるものだ。

電子機器メーカーに勤める秀夫さん(38歳)もそう。広報部に在籍する彼は入社して数年、「出世のことなんて、頭をかすめもしなかった」という。

しかし、30代も半ばを迎えるころになると、管理職に登用される同期ボチボチと出始めた。

「最初の二人くらいまでは、『同期の出世頭だな』と素直に祝福していました。でも、三人、四人、五人と増えるにつれて、しだいに『配属された部署がいいんだよ。出世コースに乗りやすくていいなぁ』とか、『あいつは上司に恵まれたんだよ』『営業職は数字で評価されるから、あいつは管理職ではないけど、収入ではオレよりはるかに上。うらやましいよ』なんて妬むことが多くなってきました。

ついに最近、同期で平社員は私を含めて三人だけ、という状況になって、かなり落ち込みました。会社の利益に直接結びつく仕事じゃないからだ、だいたい上司に部下を育てようという気持ちがないという怒りや、10年勤めてもまださほど重要な仕事を任せてもらえない自分はダメ人間だ、という自己嫌悪感が入り交じって、複雑な気分でしたね」

そんな秀夫さんが立ち直ったのは、取材にやってきた40代後半の新聞記者と雑談をしたことがきっかけだ。人事の取材をしたあと、その彼はこう言った。

「人事って残酷ですよね。社員をいつの間にか、出世競争に駆り立てるからね。ウチもそう。でも僕は現場が好きでね。社員をいつの間にか、出世競争に駆り立てるからね。ウチもそう。でも僕は現場が好きでね。そろそろ管理職になってデスクでデンとしてなきゃいけない年ですが、いまだに走り回ってます。ガンコに管理職試験を拒否してるんです。ま、半分は受けても落ちるって自信があるからだけど。でも、僕は新聞記者になりたくて入社したんであって、目的は出世ではないからね。これ、強がりなんかじゃありませんよ」

秀夫さんは、ハッとしたそうだ。

「僕は望み通り、広報に配属されたんじゃないか。会社の活動を外に向けて、あるいは内部の社員に向けてアナウンスする仕事にやりがいを感じたからだ。いまだに自分の仕事に夢中で、僕の頭の中には部下の育成なんて視点は皆無だし、管理職に登用されなくても当たり前だな。ある意味ラッキーなんだ」

と思えてきたのである。

以来、秀夫さんは仕事そのものの目標をより明確にして、もともとなかった出世願望を頭の中から締め出した。いまは「生涯、一広報マン」でいい、それが自分らしい生き方だ、と考えているという。

他人の動向ばかり気になる”心配性さん”は、自分の目標を見失いがちだ。

秀夫さんのように、他人と比較するのをやめて、曇りのない目で自身の人生だけを見つめ、人生の目標を明確にすることで、自然と安らかな気持ちになれるだろう。