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button-only@2x 「しかたのない」ことに、もう悩まない!

《過去を上手に”清算”できる人、できない人》

「心配で心配でしょうがない」とドキドキがおさまらないような物事の大半は、「心配しても仕方がない」ことではないだろうか。

たとえば、ゴルフに行くまえの日に、曇天を眺めながら「明日は雨かなぁ、だとしたら憂鬱になるなぁ」と心配するようなことだ。

心配すれば晴れるのなら心配のしがいもあるが、お天道様はそんな個人の思いに付き合ってくれるほど優しくはない。

心配する気持ちはわかるが、こんなときは「晴れればラッキー」と考えたほうが心は明るくなる。と、同時に、「土砂降りなら中止だな。せっかくの休日がフイだよ。有休とったのに」とか、「小雨なら決行だけど、いいスコアなんて出ないよなぁ」といったことを考えてクヨクヨせずに、「降られたら、どう楽しく過ごすか」を考えるといい。

ものは考えよう。「シューズに防水スプレーをかけて、どのくらい有効か試してみよう」「オレは握ると雨の日には不思議に勝ってきたな。楽しみだ」「土砂降りでも、打ちっ放しなら行けるな。日ごろの練習不足を補っておくか」「いまのうちに仲間と映画を見るとか麻雀をするとか、何かプランを練っておこう」といった気持ちの切り替えや、善後策が立てられるはずである。

「たかがゴルフのことだから簡単に言えるんだ」と反発する向きもあろうが、これは

「心配しても仕方がない」ことすべてに当てはめることができる。

本章では、日常生活で、「よくある不毛な心配事を例に、どうすれば心配性の「ドキドキ」を遠ざけることが可能かを考えてみよう。

さて、時間を巻き戻すことは不可能である。それは、誰もが承知していることと思う。それなのに、人は過ぎたことを悔やみ、来るべき将来への不要な心配にとらわれがちだ。たいせつなのは「これから」なのに、頭を去来するのはやってしまったことへの後悔ばかり。

こういうときには、うまい具合に「過去を清算」してあげないと、「心配の虫」は循環回路のように、「どうしよう→どうにもならない、どうしよう→どうにもならない」という堂々巡りを繰り返す。

では、すこしでも心配を減らすためにはどうすればいいか。答えは一つ、心配するのをやめることである。

それができなくて困っておられるのだと思うが、自分自身に強く「心配したって、やってしまったことをなかったことにはできない」と言い聞かせるだけでも、心の持ちようはずいぶん違ってくる。

以下に、「気持ちが過去に向かう心配性」について、よくある三つのケースを検証しよう。

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《気持ちが「悪いほう」に向かい始めたら》

▽ケース1 大事な打ち合わせに遅刻してしまった!

だいじな会議がある日に寝坊したとする。起きたらもう、会議が始まる10分まえ。

どんなに急いで会社に向かっても、三十分の遅刻は免れない。こんなことはあってはならないのだが、ぜったいに起きないとは言いきれない。そんな場合にどうするか。

たいていの日の人はまず、「よりによってこんなだいじな日に遅刻するなんて、どうしよう」と顔から血の気が引く思いだろう。次に、心にもたげてくるのが「心配」だ。

社会人としてサイテーだ、上司に叱られる、同僚から軽蔑される、人事考課に影響する…さまざまな心配事が頭をかすめるだろう。

しかし、「遅刻する」という事態はどんなに心配しても、変えようがない。どこかでキッパリと、「寝坊した」自分を受け容れて、自分の遅刻によって周囲が受けるダメージをすこしでも減らすよう行動しなければならない。

こういう「だいじな日の遅刻」を経験したのは、雑誌記者の滋(しげる)さん)(32歳)だ。

「僕は社会人になってから、二回ほど電車の遅れというアクシデントに見舞われたのを覗いて、遅刻をしたことはありません。時間に正確であること、それが社会人として守るべき最低限のルールだと考えていました。」

それだけに、大寝坊したときは頭が真っ白でした。目が覚めたらもう取材の時刻まであと五分というときだったんです。この事実がなかなか受け容れられなくて、ベットの前をウロウロしながら、『電車が遅れたと言おうか。病気になったと言おうか。いや、そんなウソはすぐバレる。連絡して怒鳴られるのはイヤだから、とにかく急いで現場に向かおうか。いや、相手をイライラさせるだけだ。このままやり過ごして、取材日時を勘違いしていたフリをしようか。いや、そんな言い訳はきかない』などと考えていました。心臓をドックン、ドックンいわせながら。

あのときはしばらく、自分の寝坊を取り繕うことしか考えられなかったんですね。

でも、何も解決策が浮かばないから、「え~い!」と開き直りました。『寝坊した事実はやり直しがきかない。すぐに連絡して、正直に謝り、相手にどうすればいいかを相談しよう』と。

案の定、相手は『寝坊だとぉ!』とすごい剣幕で、『取材はもうやめだ!』とガチャンと電話を切られてしまいました」

滋(しげる)さんは、ここでまた呆然とした。というのも、「ページをあけて待ってるよ」と編集長に言われていたからだ。

「どうしよう」とうろたえながら、またも頭をかすめたのは「寝坊して取材を断られたなんて、編集長が開いたら怒りまくる」ことへの心配だった。だが、、滋(しげる)さんは「心配しても取材を断られた事実は変わらない」と腹をくくった。そして、すぐに編集長に事の次第を正直に報告したのだ。

「もちろん、叱られました。でも編集長はよくできた人で、僕に『すぐに先方に駆けつけて、謝ってこい。菓子折なんかはあとでいい。ゆうべ徹夜したなんて、言い訳もするな。ひたすら頭を下げろ。そのうえでどうしても許してもらえなければ、別のネタを仕込むしかないだろう。

ただし、今日の取材はダメになっても、先方とはこれから先のつき合いがある。日を改めて、私もいっしょに謝罪に行くよ。許してもらえるまで、二人で通おうじゃないか』と言ってくれました。

もう、涙が出そうで、遅刻はサイテーだということがいままで以上に身にしみました。と同時に、上司の行動を見て、心配というのは自分にとってつらい事実を受け容れることで遮断できるんだと、とても勉強になりました」

滋(しげる)さんはこのときの”事件”以来、遅刻にかぎらず、何かミスをしたときには「やってしまったことは仕方がない」と、後々のことを心配する気持ちを封じるようにしている。そうすると、ザワザワと騒ぐ心が落ち着き、冷静に行動できるという。

この例でもわかるように、人は「やってしまったこと」を心配すると、考えが「過ちをウソや言い訳でなんとか取り繕えないものか」という方向に傾きがちだ。

しかし、どんなに巧妙なウソや言い訳を思いついたとしても、「やってしまった」事実は変わらないし、次は「そのうち、ほんとうのことがバレるのではないか」と心配することになる。

「心配性の虫」を封じるには、自分にとってつらい現実を受け容れることがまずたいせつなのだ〈第一の習慣〉。