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button-only@2x よく眠る人は、イヤなことには忘れっぽい

前項につづく。私は寝つきがいい、ふとんの中に入って、「さて…」と、趣味の航空雑誌を開くが、一ページのコラムを読み終えたこともない。バタンキューである。

さて、病院には、不眠で悩む患者さんが多くやって来る。不眠といってもいろいろあって、夜中に何回も目を覚ます、寝つきはいいが夜中に目を覚ましたら朝まで眠れない、寝つきが悪くて朝まで一睡もできないこともある。など、さまざまだが、この「寝つきが悪い」という患者さんに共通していることがある。

些細なことにくよくよと悩み、イヤなことが頭から離れないということだ。これは性格的なことが大いに関与しているが、物事は悪いほうに考えていけば、どんな最悪な結果にも結びつけられる。たとえば、取引先の担当者を怒らせてしまったとする。

「あしたは、課長に叱られるなあ。まあ、自分の責任だからしかたないか」と、さして気にしない人もいるが、「ボーナスの査定に響くかなあ」とくよくよする人もいるだろうし、「オレの出世が…」と悲観的になる人もいる。「クビだよ、クビ…」とまで考えて、家のローンの算段を考えていたら、たしかに眠れまい。

人と話をしたり、テレビを観ているときはすっかり忘れているのだが、ひとりでベットに入った瞬間に、思い出したくないことが、条件反射のようにどこからともなく浮かんでくるというから困る。「何も考えない」ということができないのである。

三週間に一度、定期的に私に会いに来る患者さんがいる。とはいえ、私は、この患者さんに治療らしい治療はしていないから、申しわけないような気もするが、

「先生と会って話をすると、夜、よく眠れるんです。三週間はもちます」

というから、「ああ、そうですか。それでは…」と、患者さんの話を、うなずきながら聞いているだけである。私は、いわば「人間睡眠剤」に徹しているのだが、この患者さんは、私に悩みやらイヤなことを話し、いいたいことをいうことによって気が大きくなり、ふとんに入っても、あれこれ悩んだりはしなくなるということらしい。

眠れない人というのは、よくも悪くも、繊細で頭のいい人が多い。トラブルが起きたら頭を働かせて乗り切ろうとするのだが、それが仇になっているようにも見える、

よく眠るということは、イヤなことを考える時間をなくすということだから、それだけでも幸福といえよう。ある人は、自分が大の字になって眠っている姿を思い浮かべながら眠ると、すぐ眠れるそうだ。イヤなことを考えるよりは効果がありそうだ。

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【実力で生きている人は、根にもたない】

ある会社で行なわれた四月一日の朝礼での話である。

「きょうから役職名を排し、”さんづけ”で呼ぶことにします。これは社長の提案です」

役職名を使わないことを告知した人事部長の言葉に、いきなり「社長」という役職名が出てきたため、効果も半減し、この改革はうまくいかなかったそうだ。笑い話のようだが、長いあいだの慣習というのは、そう簡単に変えられないという例ではあるまいか。

聞くところによると、役職名廃止に不満をもつ人は、かなりの数に上るという。

それは、役職名をつけることによって上下関係が明らかにならないと、仕事がスムーズに進まないといった現実があるから、という。

たしかに、仕事の現場においては、個人的魅力や個人の能力だけでは、なかなか人は動かないものだろう。組織があって、立場の違いがあって、責任の所存がはっきりしてこその上下関係である。そういう気持ちが強いから”さんづけ”ではいけないのだろう。

日本人は肩書きに弱いという。人よりも肩書を信じる人が多い。会社によっては、そんな顧客の心理を読み取ってか、平社員の立場であっても「副参事」とか、部下もいないのに「営業マネージャー」という肩書きをつけることもあるらしい。

商社やマスコミ企業から飛び出し、独立した人がよくいうのは、「会社の名前がなくなったら、商談や取材ができなくなった」ということだ。

それまで、「人と人」としてつきあっていたつもりだったのが、相手は「人と会社」として考えていたことがわかり、愕然(がくぜん)となるらしい。それだけ世間では、会社や肩書きを信用しているというわけだ。

リストラにあったり、冷遇されたり、今は自分の身に何が起こるかわからない。信じてきた会社にひどい仕打ちをされるかもしれない。しかし、いつまでも「会社が悪い」と根にもち、新しい道を探さないとしたら、それは自分への大きな損失だろう。現実から目を背け、「会社が…」といいつづけるだけでは、結局、自分は会社という後ろ楯に守られてきただけということではないのか。

「根にもって」しまうのは、会社という後ろ楯に頼り切って生きてきた自分の責任でもある。もし、あなたが、今苦境に陥っているなら、自分の人生を立て直すチャンスと思ってほしい。「権威ではない、ほんとうの実力」を身につけるほうが、後半生、どんなに幸せかと思うが、どうだろうか。十年後を、楽しみに働こう。

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【人に合わせてばかりでは、人に好かれるはずがない】

こんな失敗はないだろうか。ある人に「好かれたい」と思って、その人の言い分をすべて受け入れる。相手の意見を受け入れて、相手に合わせているのだから、当然、好かれているはず…と信じる。ところが、実際は、そういう関係ほど長くはつづかない。

OL四人組で北海道に旅行するとしよう。パッケージツアーだが、宿泊ホテル以外は自由行動である。さて、初日は、千歳空港からバスで札幌に着いたころにはお昼をまわっている。その日は札幌のホテルに泊まり、翌日は富良野泊の予定である。

一日しかない札幌観光なので、Aさんは、どうしても札幌ラーメンが食べたいと主張する。Bさんもラーメンに同意する。Cさんは旅行当日までは「お寿司も食べたいわね」といっていたが、突然、ラーメン派に転向する。

こうなると、Dさんは迷う。小樽(おたる)まで足を伸ばして寿司を食べたいと思っていたから、ひとりで孤立する。安くておいしい小樽の寿司屋を紹介してもらってもいた。

夕食はホテルでジンギスカン料理を食べることが決まっているから、Dさんが本場で寿司を食べられるチャンスは、この日の午後しかない。しかし、Cさんという仲間を失ったDさんは、「みんながそういうなら」と、しぶしぶラーメンを食べる。

さて、北海道から帰ってテレビのグルメ番組を観ていると、小樽の寿司屋でおいしそうな握りが紹介されている。Dさんは、「ああ、やっぱりお寿司を食べに行けばよかった」と後悔し、同時に「Cさんが、裏切ったからだ」と憎々しく思う。食べ物の恨みはおそろしい。

しかし…だ。私は、寿司を食べそこなったDさんに同情するが、「裏切り者」にされたCさんにも同情する。

たしかに「Cさんのせいで…」という気持ちもわからないでもないが、ひとりでも小樽に行って寿司を食べようとしなかったDさん自身にも後悔の要因はあるだろう。

Cさんだけを悪者にするのは筋違いだ。

「まったく、気まぐれなんだから」とひとこと文句をいって、

「じゃあ、気まぐれなだから」とひとこと文句をいって、

「じゃあ、私はひとりで行くね。三時間後に待ち合わせしましょうよ」と提案していれば、どうということもなかったはずだ。Dさんは、単独行動ができない自分の弱さをCさんにぶつけているだけだ。

人に合わせていれば、いい結果になるとはかぎらない。自分を生かすのもみんなのためになる…考えてみれば、やるべきことが見えてくるのではないだろうか。