叱られ上手な人もまあ、人から好感をもたれる条件のひとつではないか。
あるとき上司に叱られたその人は、沈痛な面持ちで同僚にこういった。
「私、部長に嫌われているんだわ。どうしよう」
その同僚は上司とその人とその人のやり取りを聞いていたのだが、上司はただ仕事のやり方に関して注意をしただけで、嫌ったようすなど別になかった。それで、
「そんなことはないでしょう。」と答えたのだが、その人は、
「嫌われた」
の一点張りである。
こうなると上司もやりにくい。その人には腫(は)れ物にさわるような感じで接するしかなくなり、「ここをこうすればもっと能力が伸びる」と思っても、助言することができない。うっかりいえば、
「部長は私の能力が足りないといっている。やっぱり部長は私を嫌いなんだ」
と受け取られかねないからだ。
損得でいえば、叱られ下手は損である。
逆に叱られ上手は、実を取ることができる。反響はしないが、落ち込みもしない。「すみません」と謝ったあとは、気持ちを切り替えて、失敗を次につなげられる。何より、素直で前向きだ、と好感をもたれる。なんと得な人だろう。
ところで、ちょっとのことでも「嫌われた」と感じて沈痛な面持ちになってしまう人は、けっこういるのではないか。
「キミはどう思うの?ボクはそう思わないな」と、反対意見を出されると「彼はボクを嫌いなのか」。
「おたくのテレビの音、もう少し小さくしてくださらない?」
と隣の住人にいわれると「隣の奥さん、うちを嫌いなんだわ」。
「あ、その日は予定が入っている。ごめん、来週も決まっているの」と誘いを何度か断られると「嫌われているのかも」。
こっちは、たまたま違う考えをもっていたり、相手の存在ではなくテレビの音が気に障(さわ)っただけだったり、先約済みの日と重なったりしただけなのに、全人格を否定したように解釈されては、こちらが困る。
こういう人には何もいえない、何も頼めないし何も断れない、ということになれば、じつにつきあいにくい。もっと大らかに聞いてほしいのだが。
【心の卑屈さが人を遠ざける】
その人は三十代だが、頭頂部にあまり毛がない。はっきりいえば、はげている。「はげ」の二文字を見て心拍数が上がった人は、この項をとくと読んでいただきたい。
彼のモットーは「カツラをかぶらない。増毛もしない」ことだ。たまに、
「最近はいいのが出ているらしい。かぶっているってバレない優れものが」
とおせっかいをいってくれる人もいるが、「あ、そう」とさらった受け流す。
「なぜわざわざ隠さなきゃならないんだ」
と思っているからだ。
しかし、世の中には、まったく逆に考える人がいる。ちび、でぶ、はげ、ぶす。ストレートないい方で申しわけないが、これらを劣等部分ととらえて、ことさらに意識し、何かよくないことや悲しいことがあると、そのせいにしてしまう。
「背が低いから、女の子にモテない」
「彼が振り向いてくれないのは、私が太っているからだ」
「私はきれいじゃないから就職の面接で落とされた」
「髪の毛がもっとあったら、ボクだって明るく堂々としていられるのに」
この手の「劣等部分」をごまかしたり変えたりする、いわゆる「コンプレックス商品」の広告も、うまくくすぐってくる。二重まぶたにしたら明るくなりました。
ダイエットに成功したら彼氏ができました、髪を増やしたら人生バラ色になりました…と、それで実際に幸せになった人にけちをつけるつもりはないのだが。
しかし毛が薄いから、美人じゃないから…と卑下し、いじけている人は、その卑下やいじけが「好かれない」理由になっていることがわからないのだろうか。
「どうせ男はみんな、きれいな人が好きなんでしょ、私なんかじゃなくて」
「見栄えがいいほうが、営業先でもウケがいいじゃないか」
その卑屈さが、悪印象を与える。姿形のせいで嫌われているわけではないのである。
冒頭の人には、「隠すべき恥ずかしいもの」とか「劣等部分」という発想はない。
頭頂部の毛が少なくて困ることといえば、
「夏、日焼けすると痛いことですかね」とにこにこしている。
こういう人はやはり好かれる。この人は女性にも男性にも人気があって、パーティーなどにはあちこちからお呼びがかかるし、すてきな恋人もいるのである。
【後悔のしかたに、「その人」が表れる】
どうしても欲しくてたまらないものがあり、その場で思い切って買った。「衝動買いはいけない」と思いつつ、である。ところがやはり、二週間後、同じものがバーゲンで安くなっている。あなたはどう思うだろう。
「ああ悔しい! 私は奮発して買ったのに。五千円も損しちゃってほんとに悔しい」
ある人の場合はしきりに悔しがる。また、ある人は、
「もう少し待てばよかったのに、私ったらどうして待てなかったのだろう。衝動買いしたらバチが当たったんだわ。私がいけなかったんだわ」と、くよくよ反省する。
「なんて運が悪いんだろう。それにどうしてバーゲンがあるっていってくれなかったの」
と不運のせいにし、店員に苦情をいう人もいるだろう。また、
「悔しいけど、ま、しょうがないか。バーゲンで買う人より二週間早く使えたのだから」
と、さっさと気持ちを切り替える人もいる。
人の「前向き度」はこんなところにも表れる。だれがいちばん前向きかといえば、いうまでもなく、最後の人であろう。
この人は割り切りがうまい。自分に対しても人に対しても、「やっちゃったものはしかたがない」と、そこで気分をさっさと変えて、前向きになれるのである。
こういう人が近くにいると、こちらも早く立ち直れるものだ。
待ち合わせに三十分以上も遅刻してしまった。こちらが恐縮していると、
「おかげで本がこんなに読めたんですよ」
と、うれしそうな顔をしている。それで、こちらも救われるのである。
テレビをがちゃがちゃと無理にいじっていて壊してしまった。がっくりきていると、
「いいじゃない、最新のが買えるんだから。こういう機会がないとなかなか買い替えられないでしょ」
そうか、そう考えればいいのか。よし、いいのを探すぞ。そう思えてくる。
前向きに割り切れる人は、まわりの人の気持ちも切り替えてくれる。生活感にあふれていて、トラブルにあっても最小限の損失でくい止めるコツが身についている、実践的な人ともいえる。そんな人のそばにいたい、友達になりたい、と思わせる人である。