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button-only@2x 「水に流せる人」には、心の底力がある

私たちが一生のあいだに、いちばん頭を使うことは何か。

将来のこと、仕事のこと、人間の戦争と平和について、今晩の夕食の献立…。

まあ、いろいろあるだろうが、おそらく、広い意味での人間関係である。

それほど頭を使っているにもかかわらず、人と人というのはかならず行き違いが起き、トラブルになり、その修復のために大きなエネルギーを費やす。

人と人との関係なんて、もうイヤだ…。「とかくに人の世は住みにくい」といったところで、どこへ行けばいいのか。どこへ行っても「人の世」だ。結局、向こう三軒両隣のなかでやっていくしかあるまい…というのが、夏目漱石の「草枕」の冒頭だ。

私たち人間というのは、そんなに頭のいい動物ではない。何とかいい関係でありたいと思って考えぬいても、目的を達成することはまれだ。そういうことなら、もうヤケクソになって、人との関係はかならず綻(ほころ)びていくもの…と考えてを改めたほうがいいかもしれないではないか。そして、トラブルを起こさないための対策を考えるのではなく、起こってしまったトラブルをどう処理し、どう仲直りしてゆくかにエネルギーを注いだほうがいいようだ。

どうしてもはずせない用事があって、町内会主催の公園掃除に参加できない。そのことは町内会長には連絡済みで了承もされているのだが、町内会のひとりが、

「どうして参加しないのよ。忙しいのはあなただけじゃないのよ」などと、家までわざわざ文句をいいにくる。こちらが夕食だったりしたら最悪だ。しかもこちらには引け目もあるため、いい返すことができない。事情を話せばわかってくれる人もいないわけではないが、だいたいが「押された気分」になり、とたんに夕食がまずくなる。「そりゃあ悪かったけど、何もそこまでいわなくても…」という思いが残る。道ですれ違っても目を合わせたくない。足早に歩く。自分が嫌えば、相手も嫌う。これは人間関係の鉄則だから、ますますこじれ、お互いに根にもちつづけることになる。

まあしかし、わざわざ文句をいいにくるのもナンだが、だからといって根にもっていては、自分も損である。ここは、さらりと「水に流して」はどうか。

これまでのことを改めてとがめ立てたりせず、なかったことにしようというのである。これからのいい関係、向こう三軒両隣の関係でいるための現実的な知恵と思うがどうだろうか。ちょっと失礼なことをいわれてもへこまず、さらりと「水に流せる」のは力のある人だ。

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【親しい人との関係ほど、「妬み」で壊れやすい】

仮の話である。あなたの同級生でも近所の人でも職場の同僚でもいいが、毎日のように顔を合わせて親しくしている人が、

「じつはねえ…秘密の話だけど…宝くじ当たったのよ、一等が」

といったら、あなたは、どういう気持ちになるだろうか。

「おめでとう。よかったわねえ。食事、おごってよ」

といつもの調子で、心から「おめでとう」をいえる人がいたら、そして、これまでと同じように長くつきあうことができたら、あなたは、とても「力のある人」である。人間というものを深く理解し、同時に、自分の価値観を大事にしている人だ。

ほとんどの人は、そうはならない。「おめでとう。よかったわねぇ…」まではいうかもしれないが、その後、熱烈な「妬(ねた)み」に、心が占められる。うらやましさ、悔しさ、不平等感、憎悪、怒り、憤り…など、あまり上等ではない気持ちで数日を過ごす。

それほど親しくもない人が「当たった」のであれば平成でいられるだろうが、なまじ親しい人であるばかりに、どうして、私ではなく、あの人に当たるのよ…と、筋の通らない理屈で、いらいらさせられるということになりはしないか。

そして、すこしずつ、その人との「つきあいのリズム」が狂い、口をきくのもイヤになり、疎遠になっていく。こうならないことを願うばかりだ。

「妬み」というのは、もっともやっかいな感情だろう。なぜかといえば、理屈が通らないからだ。親しい人に、こんな幸運が訪れたのよ…と喜ぶならまだしも、実際の自分は、妬んでいらいらしているのである。このような自分を、どう説明すればいいのか。自分の心の中にある「妬みの感情」を、どう鎮めればいいのか。

人と人とのあいだには、さまざまな感情が行き来する。喜びや楽しさ…などの、好(い)い感情ばかりではないことは心得ておこう。

●学生時代は仲がよかったのに、あいつは一流企業に就職した。でもおれは…●どうしてあいつが同期入社の一番出世なんだ?ああ、こんな会社、辞めてしまいたい…

●あの人の家は大きくて、広い庭もあるのね。ああ、それにくらべて…わが家に帰るのが虚しいわ…

人と人との関係が壊れていく要因には、どちらかの心に芽生えた「妬み」というケースは多いのではないだろうか。

もし、自分の心の中に「妬み」を発見したら、慎重に対処したいものだ。

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【腹が立ったら思え!「いちいちかまっていられるか」と】

「おれが若いころはなあ、食べるものもロクになくて…」それでも不幸とも思わずに生きてきたんだ。いまから思えば、楽しいこともたくさんあったなあ。おかげで、もう一度あんな時代になっても、おれは生き延びる自信があるよ。今の飽食時代に育った人たちは、どうするんだ?日本の将来が心配だよ」

時代に育った人たちは、どうするんだ? 日本の将来が心配だよ」

と、昔の苦労やイヤな体験を愉快そうに、しかも力強く話す人がいる反面、どうしても話が不景気で暗く、消化不良のようになってしまう人がいる。

「おれが若いころはなあ、食べるものもロクになくて…。」成長期に栄養が取れなかったからからだも弱かったが、仕事をしなきゃ食べていけなかったから必死だった…。どんなにつらい仕事でもやったよ。苦労したよ。あのころを思い出すと、自分がみじめになってなあ」

同じような時代に同じような経験をしているのに、どうして、こうなってしまうのか。

おそらく、昔のことを、すでに「根にもたなくなっている」か、まだ「根にもっている」かの違いなのではないか。

生前の本田宗一郎氏は、部下に「もういいから、明日から来るな!」と怒鳴ったり、「ばかやろう」といって殴ったことが何度となくあったそうだ。まだ従業員も数人の、町工場の時代である。しかし、部下たちはは根にもつこともなく生き生きと働いたそうだ。この部下たちが、将来、「世界のホンダ」の役員に名を連ねていくことになる。

彼らが根にもたなかった理由は、さんざん怒鳴り散らしておきながら、仕事が終わることにはすっかり忘れたように「飲みに行こうか」と声をかけてくる本田氏の人柄が大きく関与していたそうだ。そして、酒を酌み交わしながら語る本田氏の「壮大なる夢」を聞かされれば、部下にとっても「社長に怒鳴られたくらいのことをいちいち覚えていられるか」という気持ちが生まれてきたのは間違いない。本田氏が「根にもたない性格」だったから、怒鳴られた部下も根にもたない…。そんな雰囲気の中で、会社は成長していったのだろう。

大リーガーの野茂英雄投手やサッカーの中田英寿選手も、日本を出るまではマスコミに誹謗中傷されたものだ。しかし、大きな夢が現実化しそうになったとき、心境は大きく変わったはずだ。マスコミへの「腹立たしさ」から、「いちいちかまっていられるか」というふうに、だ。イヤなことも、大きな夢の前では小さなことに思えてくるものだ。「根にもたない」ことが、無心の活躍につながっていく。