Pocket

button-only@2x 段取りをつけて「待て」ば、感じのよい人になれる

妻が夫に日曜大工で棚を作ってくれるように頼んだとしよう。夫は休日といえば、一日中ごろごろしていて動きだす気配はなく、そのまま二週間がたつ。

いいかげん腹も立つだろうが、さて、そんなとき、妻はどうすればいいのか。

「どうしてやってくれないのよ」と非難を浴びせるか。「いつごろになりそうかしら」とやんわり催眠するか。あきらめて自分でつくることを考えるか。まあ、選択肢はいくつかあるだろうが、それは夫婦のあいだで納得できるものであれば、どれでもいい。とくにこれが正解というものはない。

ただし、人の気持ちがよくわかっている妻なら、そのやり方には共通点がある。

けっして、一気に解決しようとは思わないことだ。

だから、「いつになったら、やってくれるのよ」と、非難を浴びせ、語気荒く強要したりはしないだろう。また、夫を見限って「それじゃ、私がやりますからね」と、自分で強引にすすめていく方法も選ばないだろう。

前者は、妻が「力づくの命令」を発し、夫を動かそうというやり方である。

後者は、妻が夫の存在を無視し、自分の「力」を発揮しようというやり方である。

…どちらも、ベターとはいえないだろう。

人の気持ちよくわかる人というのは、段階を踏んですこしづつ、相手の気分を害さないで自分のペースに引き込んでいく。

「ここに棚をつくるとすると、何が必要かしら。準備は私がしますから力仕事はお願いね」と、材料を買ったり道具を準備して「待つ」のである。それでもダメなら、

「女も大工工事くらいできにあといけないと思うのよ」といって作業をはじめ、すぐに、

「ねえ、どこに釘うったらいいの? よくわからないのよ、ちょっと教えて?」

と、夫に声をかける。まあ、ここまでいわれたら、夫も、多少は疲れていても、

「しょうがないなあ。オレに貸してみろ」

と金槌を手にするようになる。やっぱりオレがいないとだめだなあ…。夫の自尊心も十分にくすぐられ、結局は最後までやってしまうのではないだろうか。

第一段階で、用具をそろえるなどの「共同作業」に入っていく。そして、第三段階の「夫の仕事」に入る…。

人の気持ちのわかる人は、このような段階を用意して、うまく人を動かす。けっして急がないし、自然な流れのなかで、相手には気づかれないように「引き込んで」いくのがうまい。

反対に、妻に怒鳴られ、しかたなく手を動かしたとしたら「やっと終わった」という解放感はあっても、満足感も充実感もない。妻に対して「うるさいやつ」という気持ちも残ってしまう。これでは、次の休日にイスを直してもらおうとすれば、

また同じようなやりとりをしなければならない。

「待つ」というのは、ただ待っていれば…というのとは違う。段取りをつけながら、相手が「乗ってくれるように待つ」のが正しい。

button-only@2x 段取りをつけて「待て」ば、感じのよい人になれる

ひとりでも楽しめる人

【ひとりでも楽しめる人は、人から招かれる】

人との関係づくりがうまく、コミュニケーションをうまく、人の話に「共感」もできる。もちろん人からも好かれて幸福そうだ。…うらやましいかぎりだが、さて、これは、どんな人だろうか。逆説のようだが、そういう人はおそらく、孤独に強く、ひとりでいても楽しめる人だ。

ひとりでいることが楽しめない人は、ひとりになると何をしていいのかわからない。手持ちぶさたになって時間をもてあまし、だれかとコミュニケーションをとりたくなる。大した用事でもないのに、知人に電話をしたり、相手の家を訪ねたりする…。あなたには、そんなところはないだろうか。

よく考えてほしいのだが、あなたが二時間、知人の家にいたとすれば、知人は同じ時間、あなたにつきあっているのである。あなたは心寂しさを補って満足かもしれないが、そのために、知人は自分のスケジュールが「押せ押せ」になり、生活の

ペースが狂わされている。電話だって同じである。とくに若い女性は、一日二時間も電話をするのは珍しくもないそうだが、そのために相手は二時間、ほかのことは何もできあいのである。

そんなことが毎日のようにつづけば、知人だって、あまりいい顔はしておれまい。

「もう来ないでくれ」という気分にもなろうというものだ。これが、人と人との関係が壊れてしまう、ひとつのパターンだ。

ひとりでいても楽しめる人というのは、このあたりの距離感がわかる。また、ひとりでいても苦痛ではないから、大した用事でもないのに連絡をとるようなことはしない。

ひとりでも楽しく過ごせる人とそうでない人の違いは何か。些細なことを言い出せばきりがないが、根本的な違いは「自分のことは自分でする」という生活の基本ができているかどうかではなかろうか。自分の身のまわりのことを自分でできる人は、ひとりでいてもさほど苦痛ではない。

反対にひとりぼっちになってしまうと欲求がみたされずにストレスがたまり、だれかといっしょにいたいというのは、依存心の強い人ともいえる。孤独を紛らわせるためにだれかに依存している。

ひとりでも楽しめる人は、個として自立し、一方的に依存するのではなく、ギブ&テイクの関係を保てる人だ。そこには「助け合う」という気持ちがある。しかし、それはあくまでも「互いに」であり、「一方的に」ではない。自分ひとりの時間を楽しめる人こそ、社会のなかのさまざまな人とも充実した関係がもてると思うが、どうだろうか。

button-only@2x 段取りをつけて「待て」ば、感じのよい人になれる

【ちょっとの準備で、ひとりの時間は広がってゆく】

「あの人って、楽しいよね…。彼女がいると盛り上がりが違うからなあ」

といわれる人がいる。どういう人かといえば、前項のつづきになるが、ひとりでいるときの時間が充実している人だ。好奇心にあふれている人、しっかりした趣味をもっている人…ともいえるだろう。

ひとりでも楽しめる人は、自分が楽しいと思ったことを人に提供できる。「こんなことがあったのよ…」と、まわりの人の注目を集めることが苦もなくできる。今度は、どんな話題を提供してくれるんだろう…と、まわりの人は耳をそばだてる。

ところが、ひとりでいるときの自分を楽しませることが不得意な人は、好奇心もなく趣味もなく、それは時間の使い方が下手な人でもあるが、そういう人は目新しい話題を提供することができない

結局、「ワイドショーでやってた、あれだけど…」といった、だれもが知っている情報を、さらに好感するといったことに終始する。まあ、共通の話題といえば、そのとおりだが、「退屈しのぎ」といった面もあるだろう。心の底から楽しんでいるふうには見えない。そういう人に、「何か、意味でも…」とすすめれば、

「ええ、そうなんですよね。私は読書が好きで、読みたい本もたくさんあるんですが、家事が忙忙しくてなかなか自分の時間がとれないんですよ。」ご飯を食べて後片付けをしたら夜の十時をまわっていますからね。入浴をすませれば、もう寝る時間ですから」

などという。そのときの顔を見れば、こんなことじゃいけないな…という気持ちがありありと浮かんでいる。おそらく、毎日が空(むな)しいのではないだろうか。そして、そんな疲れた人は大勢いるようにも見える。

しかし、自分の時間がもてないのは、ほんとうに家事のせいだけだろうか。同じように忙しい毎日を送っている人でも、自分の時間を持っている人はたくさんいる。

自分の時間をひねり出し、有意義な体験をすることで、周囲に楽しい話題を提供している人もいるのに、なぜ同じようにできないのか。

それは性格や体力の差というような大げさなことではなく、ほんの些細なことを面倒くさがる人だ。そういう人は、ちょっとした努力も怠っている。

好かれる人は、そんなちょっとしたことをムゲにしない人である。ちょっとした時間に図書館へ行き、読みたい本を借りておく。手元におけば、いつでも読める…といった状況だけはつくっておく。自分が楽しむための準備だけは怠りがないのである。