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自分の感情をコントロールすることのむずかしさは、だれもが実現しているだろう。

表面では平静を装うことができても、心の奥底ではいろいろな感情が渦巻き、整理しようとすればするほど混乱することもある。

がまんできるうちはまだいいが、小さながまんも積み重なれば山となり、ついには飽和状態となって、感情をコントロールできなくなってしまうときがくる。

この世に生きている以上、いっさいの悩みをなくすことなどできない。それでも私たちは、あるていどは感情をコントロールしなければ社会生活を送っていけない。キレやすい人、爆発しやすい人、気分にむらのある人…。みんな、社会では厄介者扱いされがちだ。職場にマイナスの感情をあらわにする人がいれば、まわりの人たちも、どう対応していものやら困ってしまう。その人に、あれやこれやと気を遣い、職場にはストレスが充満し…不安が不安を呼ぶような状況も生まれかねない。

反対に、常にゆったりとした平常心を保っている人はどうか。穏やかで、感情をコントロールでき、周囲があわてふためくような状況があっても、不安を和らげてくれるような人は、みんなの精神安定剤になるだろう。

しかし、だからといって、どんなときも穏やかにゆったりと構えていられる人というのは、この世の中にそうそういるものではない。

いつも穏やかな人、たしかに多くの人から好感をもたれるに違いないが、好感をもたれればすべてよし、というものでもないではないか。

どんなに腹が立ってもぐっとこえら、不安や悩みも心の奥底で人知れず処理し、状況がどうなろうともにこにこしていよう…など、生身の人間としてはむしろ不自然である。そんな不自然なことをめざしたら、やがては無理が高じて神経が疲れに疲れ、精神科病院の門をたたくことになるではないか。ならばどうしたらいいか。

カラオケで好きな歌を歌っていればご機嫌…、草野球チームで試合をしていればご機嫌…、という人がいる。これはすでに、日常生活のマイナス感情をうまく処理しているのである。自分を「ご機嫌」にさせてくれるものは何か。そういう意味で、長い人生を通してみれば趣味は大切なのである。