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button-only@2x なるようになるのが人生

【思い通りにならなかったのは何かと、考えてみる】

人生を振り返ると、結局のところ、仕事などというものは、なんとかなるというより、どうにでもなるというものでしかなかったように思います。いろいろと代わりの方法や代役があったり、うまい解決策というものがどこからかでてきたように思います。

それに比べると、自分の力ではどうしようもなかったものは、人の心だったと、返す返すも思うのです。

はじめは、若き日の異性に対する告白。これが、なんとも思い通りにはできなかったし、何度やってもうまくは運びませんでした。

家族や親戚との間でも、簡単な気持ちが伝わらずに、まどろっこしい思いをした記録がよみがえってきます。一度、気持ちが離れると、元どおりにするのは至難の業(わざ)で、家族の誤解を解くのは、仕事などよりはるかにむずかしいと感じたものです。

自分の心を素直に見せて、相手にすべてを委ねればいいのですが、なかなかそういう境地に至らないものです。どこかで、自分を守りたいという気持ち、「我」が顔をのぞかせていて、それが、家族や親戚だとなおさらわかってしまうのです。

友人関係なら、「まぁ、今回はお互いに折れておこう」ということができるのですが、身内だと、折れるというわけにはいかないことが多いのです。

時間が解決することもあるのですが、放っておくとそれを「不義理」と取られてしまうことがあるのも身内のややこしさです。

とにかく、話し合わせなければ解決しないようなときには、だれかに間に立ってもらって、こちらが自分をすべてさらけ出すしかない場合があります。もう、好きなようにしてください、という意思表示です。

もともと、お互いが憎からず思っているのが身内ですから、そうすれば必ず解決します。基本的に、「なるようになれ」ですが、多少積極的な解決方法です。

友人や仕事関係の問題は、放っておけるものは一年でも二年でも放っておくのがいちばんでしょう。これは、とにかく「時」が解決することが多いので、お好きにどうぞと伝えて、「なるように」してもらえばいいのです。

とにかく相手がどう頑張っても、こちらの心までは操作することはできません。こちらは、なりゆきにまかせて、自然体で対応すればいいのです。

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【今日で終わりだとしたらと考えてみる】

-すべては変化し、新しくなると考える-

人生がつらいと感じている人も、人生は楽しいと感じている人も、いつかはその終わりを迎えます。そんなことはだれでも言われなくてもわかっているのですが、日々の忙しいさにかまけて、「終わり」については、あまり考えていないものです。

日々の仕事や人間関係がマンネリ化していると感じているのは、その証拠です。もし、仕事の仲間や家族、友人たちと、もう二度と会えないとしたら、マンネリ化などするでしょうか。

その一瞬を大切にして、思い残すことがないように、きちんと仕事をまとめたり、あるいは遊びにつきあうはずです。

その日が最後ということは、考えてみるとけっこうあるものです。たとえば、10年来会っていなかった友人に久々会ったとしたら、その友人とはもうこの世では会うことがないかもしれません。その日が人生で最後の出会いです。

職場を去る人がいます。定年退職をしたり、病気などの個人的都合で辞めたりと理由はいろいろでしょうが、同じ職場の仲間として、ともに同じ職場の空気を吸うのはその日が最後です。

それまで、お互いにいろいろ気に触ることもあったかもしれませんが、そのときを最後に、もう二度といっしょに働くことはないでしょう。今度、一生お互いに会うことがないかもしれません。

これは、「一期一会(いちごいちえ)」です。別れを惜しむと同時に、お互いがどんな存在だったのか確かめる瞬間でもあります。

自分の生命が、今日で終わるということだってあり得ます。武士道の「葉隠れ(はがくれ)」のように、毎日遺書を書くというつもりで、一日を過ごしたら人生に対する考え方はかなり違うものになるでしょう。

地球にだっていつか最後が訪れます。つい先だっても、計算外の小惑星が地球の軌道に接近して、ひょっとしたら、地球に衝突、またはかすめていたかもしれないということがありました。

なんにでも最後はいつでもやってくるのです。それが、自分が納得し、満足できる瞬間になるように、日々を生きるのが幸福というものでしょう。