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button-only@2x たまには自分を飾ってみよう

【自分にドキドキすることを思い出す】

思春期に、異性に手紙やプレゼントを渡そうとか、話しかけようとしてドキドキしたことがあるでしょう。そうでなくても、気になる異性がそばを通るだけで、ときめきを感じたはずです。

あのドキドキ、ときめきの感覚をとっくの昔に忘れている人も多いでしょう。それでも、自分でお洒落をして、異性に会いにいくとき、自分の着飾った姿にドキドキしたこともあるのではないでしょうか。

そうです。着飾るということは、自分自身でドキドキできることなのです。毎日、お洒落をしている人は、別ですが、しばらくお洒落をしていないなら、ちょっと自分を演出してみてはいかがでしょう。

なにも、高い服を着るとか、ぜいたく品を身につけるということばかりが着飾ることではありません。正月に、下着などを新しいものにする習慣がありますが、そういうレベルでもいいのです。ようするに気持ちの問題です。

気持ちを飾るという方法もあります。ふだん意識していないような、自分の「いいところ」を出してみるのもいいでしょう。自分は、本当はもっと親切だったり、優しかったりするはずです。飾るというより、深層部分の自分を表面に引き出してやる、という感じでしょうか。

電車に乗ったらだれかに席を譲ろうとか、横断歩道を年輩の方が渡ろうとしていたら、介添えを申し出るといったこと、そんなことをしようとイメージするだけでも、自分の気持ちが変わってくるのがわかるでしょう。

気持ちが親切で優しくなってくれば、表情まで変わってくるものです。きっと周囲の人から表情の変化や態度の変化を指摘されるでしょう。

自分の行動も飾ることができます。いつもせわしなく働き、機関銃のように話をしているのだったら、心掛け水車のようにゴットンゴットンという、ゆっくりとしたしゃべりかたにしてみます。

また、いつも競歩のように早足で街を歩いているのだったら、ゆったりとした歩き方にしてみる、というのもひとつのやり方です。

これだけでもずいぶん気分が違います。

いろいろと飾るうちに、自分の内面に余裕が生まれることを感じるはずです。

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【泣き虫になってみよう】

— 涙を流すことは恥ずかしくない —

日本では、子どものころから、「泣いてはいけません」「男の子は泣くんじゃないの」などと、刷り込まれるために、涙を流すことはまるでいけないことのように考えている人が多いようです。

これは大きな誤りで、泣くことは非常によい精神的な健康法なのです。基本的に人間は、大きな悲しみがあれば泣くほうが健康的です。男でも女でも、泣きたいときには涙を流して泣くほうがいいのです。

よく、芸能人の離婚記者会見での涙が「うそ泣き」だとかいわれることもあるようですが、うそ泣きでもなんでもいいのです。悲しい気持ちを涙で流すのが人間の知恵というものなのです。

泣くことは精神的なカタルシスをもたらします。ふだんは鎧をかぶって武装している心が武装解除されるのがカタルシスです。これをもっとも怖がるのが、管理職のような責任を待たされた男性です。

人前で泣くことが、自分の誇りを傷つけるものだと感じているのです。確かに、日頃、職場で威張っている人が、目の前で、おいおいと泣いていたら部下は困ってしまうかもしれません。

けれども、泣くべきところで泣けないのも考えものなのです。日本人は、自分の感情を抑えすぎる傾向がありますが、本当は、喜ぶべきときには大喜びして、悲しむべきときには涙を流せばいいのです。

武士の文化なのかもしれませんが、いつの間にかとくに男性は人前で涙を見せないことが美徳のようになってしまいました。

お隣の朝鮮半島や中国では、とくにお葬式のときなどには思いっきり泣くことが個人の弔(とむら)いになると考えられているようで、なにしろ泣きます。まるで、おきまりの葬式であるかのように激しく泣いて、泣いたあとですっきりしているのです。

日本人の人、とくに男性も、涙もろくなってみてもいいのではないでしょうか。悲しければ泣けばいいのです。そういう素直な感情表現ができれば、ストレスがかなり減少すると思います。

機会があったら号泣してみましょう。気持ちがいいですよ。

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【いっそダメ人間になってみよう】

— 自分の理想にこだわらない自分になる —

どんな人にも、多かれ少なかれ「なりたい自分」があって、「現実の自分」との間でギャップを感じているようです。これは、何歳になってもギャップがあるのが面白いところです。

若いうちは、若いなりに大きすぎる願望を持って、年齢がいけばそれなりに、自分はもっとできるのではないかという願望があり、そこには必ずといっていいほど、現実とのギャップがあるのです。

理想を持って、また目標を持って生きることはいいことなのですが、現代人は、その目標を物質的なところにおきがちなのでどうしても無理が生じます。

たとえば、30歳代までにローンを組んででも自分の家を持ちたいという願望は、かなえられるかもしれませんが、そこには、中身がともなっていません。一戸建ての家をローンで買ったとしても、家族の生活がどうなるのか、自分はその家で何をするのかというイメージが希薄なのです。

だから、家は建ったけれど、子どもは帰ってこなくなり、夫婦も冷え切った関係などということになるのです。

ここには、自分の理想とこだわったあまりにいびつになった家族があるのかもしれません。こだわることは場合によっては大切ですが、ときには、そんなこだわりを忘れて、自分を捨ててみることも必要かもしれません。

いっそのこと、自分にはなにもできない、と開き直って、ダメな人間なんだと言い聞かせてみます。そうすれば、自分は、何も大変なことをする義務はなくなり、自由になれるのです。もちろん、シュミレーションとしてですが、自分の心を解放するためには効果的な作業です。

開き直って、自分はダメだ!そ~だよダメ人間だよ!と大声で宣言するのです。

いくぶん「キレる」という状況に近いかもしれません。一度やってみると、脳みそがスッキリする感じで、ずいぶんと楽になること請け合いです。

もちろん、周囲の人はビックリしてしまいますから、これがシュミレーションであることはフォローとして伝えなければなりません。ただし、前もって伝えたらシュミレーションにならないので、あくまで抜き打ちです。