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【自分の行為を採点するのは難しい 】

物事を評価したり、採点をするという行為の中で、もっとも難しいのが自分で自分の行動を評価することでしょう。できるだけ客観的な評価方法で、自分に点数をつけたとしても、どこかしらどうしても甘くなるところがあると思います。

または、反対に、思ったほどの数字がでなくて、失望を感じるかもしれません。あれだけやったのに、こんなものか、と不満を感じるあまりに次へのやる気まで失わせてしまうことさえあるのです。

そうならないようにするには、採点方法を減点法ではなく、加点法にします。

たとえば、「今日の契約が取れなかった」、「つまらないことで、部下を叱ってしまった」、「子どもの誕生日を忘れていた」などと、どんどん減点していくと、限りなく落ち込んでしまいます。

減点法では、まず第一に満点がでることがないので、満たされることがありません。

つねに欲求不満となってしまいます。

反対に加点法なら、「今朝は気持ちよく挨拶ができた」、「小さい仕事だが前進した」、「新しい取引先を開拓した」とどんどん加算していくので、点数が減っていく減点法よりやる気がでるのです。

オリンピック競技でも、減点法の競技と加点法の競技がありますが、九・九点などという点ではなんとなく不満で、満点の10点が出ると、わずか10点がでると、わずか0.1ポイントの違いなのに大興奮します。あれと同じなのです。

点を稼ぐために「よし、みんなにランチをご馳走してやろう」「机のまわりを整理しよう」という前向きな発想にもなります。

加点法の場合、最初に加点する項目を書きだしておいて、それを意識せずに一日を終えた時点でどのくらいになったか計算します。意識しないといってもある程度、点数を稼ぐように気になるでしょうが、それがいい方向にいくようにすればより積極的になれていいでしょう。

意識せずにあとで計算してみて、いつの間にか満点に達していたりすればその喜びは「金メダル」なみです。50点満点でも100点満点でもいいので、自分のペースにあった目標を作るといいでしょう。

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【気持ちが健康でさえされば人生は明るい】

— 一病くらいはだれにでもあるもの —

人生でもっとも大切なもののひとつが健康です。健康でなければ仕事にしても遊びにしても、家族関係にしても簡単にはいかなくなります。

若い頃に無理をして沢山の資産を作ったとしても、リタイアしてからレジャーなどを楽しめるだけの健康が維持されていなければ、いったいなんのために働いてきたのかわかなくなってしまいます。

もちろん、健康とはいっても、だれにでもどこか不具合なところはあるものですから、そうした病気を悪化させないように、ある程度ごまかしながらうまくつきあっていく、という発想が必要でしょう。

「無病息災」などというのは、それができればそれに越したことはありませんが、まず無理なこととあきらめて、「一病息災」でいけばいい、とよくいわれますが、まったくその通りです。「無病」だから丈夫だなどと過信していると、かえって大病に倒れることにもなりかねないのです。

ふだん、病気をしない人は、自分の体の不調に気づきにくいものです。そういう人がいたら周囲が注意してあげなければなりません。ちょっと熱があっても無理をする、などというのは、20歳代の若者なら大丈夫でも、三十歳代も半ばも過ぎたら、できることなら避けたほうがいいのです。

自分は病気もしないし、風邪をひいて薬も飲まない、と豪語している人がときどきいます。けれども、病気の時には必要な薬は飲まなければならないのです。

医者の指示を無視して、患者が勝手な判断で薬を飲まないというのは、医者から見ると非常に危なっかしいことなのです。まして、病気が発見されるのが恐いから、医者へ行かないというのは本末転倒です。

体の健康も大切ですが、気持ちを健康に保つことがもっと大切だともいえます。もし、体が健康でも、気持ちが病んでいれば、明るい人生にはなりません。

気持ちを明るく保つためには、努めて人間関係を良好に保たねばならないし、仕事もプラス思考で考えなければなりません。

それが、結果的に自分の体の健康にもプラスになると考えて、明るく生活するのがいちばん健康的だと言えるでしょう。

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【人生は80%出来ればいい】

— 理想を何十パーセントに設定するか —

子どものころに考えていた人生が理想的な人生だとすると、これまでの自分の人生はその理想が何十%くらい実現されているでしょう。恐らく、十パーセント以下ではないでしょうか。

それは、当然なことで、子どものころには人生の理想とはないかが理解できていなかったのです。現実的な夢、プロ野球選手になるとか、飛行機のパイロットになるとか、保母さんになるとか、学校の先生になるといった職業選択の夢であれば、実現している人もたくさんいつでしょう。

ただし、その職業で満足が得られているかどうかということは次の問題になります。

そのギャップが理想と実際との違いといえます。

一方で、実現が難しい夢、たとえば政治家になるとか、ノーベル賞を取るとか、オリンピックで金メダルを取るといった夢は、まだ実現への途上かもしれませんし、引き続き理想の実現に向けて努力できるでしょう。

もっと難しいのは、幸福な家庭を持つ、という理想です。人によって幸福の尺度が違うことはもちろん、それがずっと維持できるかどうかという問題もあります。不幸は突然訪れるものです。

事故や天変地異がいつ起こるかは、人間にはコントロールできないことです。

そう考えると、たとえ、理想の仕事に就いたとしても、そこで100%の満足が得られるとは限らず、今、幸福だとしても、それがずっと続くわけではないのですから、100%を求める、ということに無理があるように思えます。

私は人生は80%を求める、ということに無理があるように思えます。

私は、人生は80%もうまくいけばそれが理想ではないかと考えています。

ですから、人に何かを期待するときにも80%で上々とします。こういうと、理想を低くするのか、と感じるかもしれませんが、80%というのも十分に高い数字です。

たとえば、イチローのような天才打者でも、打率は40%弱までしか達していないのです。そう考えると、50パーセントでも合格圏といってもいいでしょう。そこからさらに30%上乗せした80%主義、このあたりが人生理想と考えるとずいぶんと楽になります。