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button-only@2x 仕事はたくさんあっても問題は中身と考える

【みんな忙しそうだが中身はどうだろう】

現代人はみんな忙しい。とにかく忙しいので、友人と飲む機会もなかなか待てないと言います。ところが、なにがそんなに忙しいのか、と聞いてみると意外に中身をともなっていない場合があります。

人と会う約束が多くて忙しいという人は、会う人を一定の基準で選んでいるでしょうか。空いている時間に、さほど緊急でもない用事の人と会う約束を入れれば、その日はそれで終わってしまいますから、翌日そのしわ寄せがくるのは当然のこと。わざわざ会わなくても、電話などのやりとりですむ仕事のほうが多いのではないでしょうか。

営業担当者など、会社に残ってデスクワークなどをしていると、上司から「外回りをしてこい!」と叱られることがあります。そのため、営業の高価も期待できないところに、わざわざ、アポイントを入れて訪問したりしています。

駆け出しの営業マンの訓練ならまだしも、成果の上がらない仕事をしても、それには中身がなく、結果がまったくともないません。無駄な取引先訪問をするくらいなら、スタッフが集まって営業戦略を練り直したほうがいい場合もあるでしょう。

ある時、ある「忙しい」人に「この時間しか空いていないから、この時間にきてください」と指定されて事務所にうかがったことがあります。

ひとしきり話をしていて、かれこれ二時間ほども経ったのですが、忙しいはずの彼の所には電話も一本もかかってこないし人も訪れてこないのです。

「時間は大丈夫ですか」と聞いても大丈夫だといいます。その人は、自分が忙しいはずの彼の決めつけて、そう思い込んでいただけのようでした。結局、三時間くらい話し込んでお暇しましたが、彼はとくに忙しそうではありませんでした。

この人の場合は、「忙しい」と言っていないと不安になるところがあるようでした。

確かに、事業主が「ひまだなあ」などと感じたら、経営が成り立たないはずですから、その強迫観念があるのかもしれません。

いろいろなケースを見て言えることは、必ずしも「忙しい」ばかりが美徳ではないということです。仕事の中身がともなえば、やたらに忙しくなくても、きちんと結果が出ることもあるのです。年中忙しいと言っている人は、ときには仕事の中味について自己チェックをしてみたいものです。

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【同じミスをしてしまったときの考え方】

— ミスをして伸びる人、ダメになる人 —

人間にはミスはつきものです。ミスをするから人間なのだと言ってもいいかもしれません。けれども、同じようなミスを何度も繰り返すことは、信頼を損ねてしまいます。同じミスはなぜ起こるのでしょうか。

ミスといっても、本人の心掛けにに問題がある場合は、ミスというより努力が足りない場合が多いでしょう。

たとえば、何度注意しても、時間に遅れるというクセがある人は、朝、起きられないとか、時間の読みが甘いとか、時間を守ろうという努力が足りない、という問題点があるでしょう。

これは、なにしろ緊張感がないからだということもできます

そういう人でも、一生を左右する試験の日などは、きっとしっかり時間を守るでしょう。もっと、緊張感をもって仕事に当たる必要があるわけです。

次に、本人の能力に問題がある場合が、本人の能力に問題がある場合が考えられます。たとえば、何度やらせても、見積もりの計算が間違っているという人がいます。人それぞれ向き不向きというものがありますから、どうしても数字の扱いが不得意な人はいるものです。こういう場合は、確かめ算の方法とか、計算機使い方から教え直さねばならないかもしれません。

最近多いのが、相手の変化に合わせられずに失敗する人だそうです。取引先の担当者の気持ちの変化が読めないとか、マーケットの状況の変化が見通せないということから失敗が生じます。

これも本人の能力に関わってきますが、状況に合わせられるような情報が得られるように、職場全体でバックアップしなければならないでしょう。サポートしても対応できないようであれば、配置を変えるほうがいいかもしれません。

いずれにしても、自分でミスを総括して、三度、四度と繰り返さないように努力するという姿勢が見えられるかどうかが次の問題です。

ミスをするたびに力をつけていく人と、そのたびに落ち込んでいく人との違いは、ミスの原因と解決策を総合的に把握できるかどうかというところにかかっています。

ミスなど豪快にぶつかって乗り越えて行くくらいでないと、仕事を引っ張っていけないということもできるでしょう。

最後に結果を出せばミスなど帳消しになるのです。

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【すぐには動かず、自分の心を確かめる】

— スピードも必要だが、ステディがいちばん —

仕事でも、日常生活でも、とっさに判断を要求されることがあります。全体を把握せずにゴーサインを出したりすると、とんでもない、取り返しのつかない失敗につながるという経験もあるでしょう。

日常生活では、テレビなどの電気製品を買うことを検討している時期に、街を歩いていてふと、同じような性能で安い商品を見つけ

「最後の一台」「本日限り」などとあったので、ついその場で購入を決めてしまった、といった場合です。

買ってみたら、性能は似ていたけれど、やはり使い勝手が悪かった、などということにもなります。テレビゲームの入力端子が、全面ではなく、背面に付いているので非常に使いづらく、子どもが不平を言う、といったことです。

この場合、「安い」ということに目がくらみ、客観的なチェックが不足していたわけです。本当にこれでいいのだろうか、と落ち着いて考えれば、自宅に電話をして子どもにその機種でもいいか確認することもできたでしょう。

仕事では、責任者がいないときに、あるレベルの仕事について決定を求められるということがあります。

今でこそ、携帯電話などで外出中の責任者や担当者をつかまえて確認したり、先方に直接連絡を入れさせるということができますが、かつてはその場で選択を迫られることもありました。

そういう場合は、自分で責任がとれるかどうか、いつまでだったらあとで変更ができるのかなどを確認して、とりあえず作業を進めてもらう、ということになるでしょう。

けれども、一度やったら二度と直せないようなこと、ゴーサインを出したら止められないようなことについては、やはり、責任者が判断するべきことなので、そこはすぐには応じないほうがベターです。

その話がうまくいけば、自分の成果として評価される、というようなときには悩みますが、ここで慌てて失敗したらどうなるか、成功してどのくらい評価されるのかということをよく考えてから決定したいものです。

私のように医業に関わる者は、患者さんに薬ひとつ投与するにも絶対におざなりにできません。これはどんな仕事にも通じる心構えでしょう。