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button-only@2x 子どもの気持ちを「わかったつもり」が最悪なのだ

【なにごとも頭から決めつけない】

人間関係は、知り合った瞬間から悪いというケースはあまりありません。多くの場合、知り合ってある程度時間が経ってから、なんらかの行き違いや誤解、勘違いで問題が生まれるのです。

しかも、その行き違いは、発生当初は「まあ、いいか」という程度の小さな行き違いですが、何度か我慢をしたり、見逃したりしているうちに、大きな行き違いになってしまうものです。

友人関係や仕事の関係であれば、問題があることがわかってから、次に会うときまでに解決の方法を考えておくこともできます。いうなれば、頭を冷やす時間、客観的に見る時間があるわけです。

ところが、親と子供の場合、いちばんの問題は毎日顔を合わせる、ということ、そして、問題が発生したその場で親が対応を考えなければならない、ということです。

問題発生の現場を目撃してしまうこともよくあることです。

そんなときの最悪の対応が、子どもがなぜそんなことをしたのか、理由を聞かずに叱責してしまうこと。これは、ついついやってしまうのですが、親子ですから長いつきあいの中で、この子はきっとこういう失敗をやらかすに違いない、と「決めつけ」をする傾向があります。

これは友人関係でも長いつきあいになると起こりがちですが、その場で対応するという点で、より難しいのです。

必要なのは、「またやったのか」という「決めつけ」ではなく、いったん冷静になって、なぜ、そういうことをしたのか、他に方法がなかったのかという分析です。家族以外の人間がやった場合には、きちんとそれを確認してから叱責するならする、という手続きを取るのに、自分の子どもの場合はそれを省いてしまいがちです。

これは、「わかったつもり」になっているからです。子どもは成長し発展している、ということをここでも忘れています。とくに、小学生くらいの時に、何度注意しても守れなかったことなどの記憶が、客観的な分析を怠らせるのです。

発展途上とはいえ、子どもも人間です。きちんと個性を尊重して相手の気持ちを考えて、頭から「決めつけ」ることもなくアドバイスをしたいものです。

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【自分だけいい子になろうとしない】

— 家族に見せる顔、他人に見せる顔 —

日本には「内弁慶」ということばがありますが、これは、昔から家族に対してと表向きの顔とが異なる人が多かったことを証明しています。ようするに、家族に対しては武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)のように強いけれど、外では正反対ということです。

家族は、他人に対するより率直に批判をしあうことが多いし、場合によっては、お互いに憎しみを覚えるほど嫌いあうこともあります。嫁と姑の問題などがよく取り上げられますが、実の親子、兄弟のほうが、憎みあうと手に負えないくらいになってしまうのです。

ちょうど、弁慶の主人である源義経(みなもとよしつね)と年の話離れた兄である源頼朝(みなもとよりとも)がお互いを敵としてしまったように、です。

現代の家庭でもそういうことが起こります。これは、社会では周囲にスキを見せないように緊張して人と接しているぶん、家族に対して緊張を解いて、いわば武装解除しているために、お互いに気になることがあると、必要以上に批判してしまうからでしょう。

家族関係がこじれてしまうのは、みんなが緊張を解除しているのに、自分だけ分別があるように振る舞おうとすることが原因であることが多いようです。つまり「自分だけいい子になる」ということ。

たとえば、きちんと帰宅時間を守る弟がいつも破る兄を非難するような場合です。兄は弟に強く非難されたりすると、それまで弟をかわいいと思っていたぶん、憎しみを覚えるものです。

家族の記念日を忘れていた夫を妻が激しく非難するという話は年に何度も聞きます。

その夫は恐らく仕事では時間に遅れたこともなければ、約束の日を忘れたこともない、場合によっては上司の誕生日まで覚えている人なのです。

だからこそ、家族に対してはルーズになったりします。

こういうときに、お互いに遠慮なく意見を言うのはいいことです。ただ、それが行き過ぎになりやすいということは知っておいたほうがいいでしょう。

こうした問題を解決する方法がひとつあります。こんな問題はどこの家庭にでもあるものだということ気づくことです。どこにでもある問題、つまりさほど重大なことではないと思えるようになります。

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【一つ買い物をしたらそのぶん何かを処分する】

— 物を減らして心の余裕をつくる —

人間関係で悩みのある人の中で、人の関係自分の中で整理できずにいる人に、ある共通点が見られます。

人との関係を整理できないのと同様に、自分の部屋も整理できていないことが多いのです。いわゆる「片付けられない人」です。物が散らかって雑然としている、ということです。いわゆる「片付けられない人」です。物が散らかって雑然としている、ということもあるし、ゴミが溜まって捨てていないとか、一見整理されているように見えるけれど、何がどこにあるかわからない、など、いろいろです。

共通しているのは、なにしろ、物が多すぎる、ということでしょう。心の不安を物でカバーしようとする傾向もあるし、趣味の物をため込みすぎるとか、家具などを衝動的に買って、置き場所がない、などという例もあります。

身近の環境の余裕は、どうやら心の余裕と密接な関係があるようです。物が増えてしまうと心にもすき間がなくなってくるのです。

そこで、私がお勧めしたいのが、何か物を買ったら、そのぶん他の物を処分するという方法です。

処分するといっても、ただ単に捨てるのではなく、あげたい人に譲るのです。たとえは、本を何冊か買ってきて、本棚がいっぱいになったら、本棚をもうひとつ買おうと考える前に、人にあげられる本はないか、と検討するのです。

もちろん本を買うという人がいれば売っても構いませんが、おさがりでよければ、とプレゼントするほうが印象がいいでしょう。自分が読んだ本を人にあげると、その人との共通の話題ができます。その本について論じることができるのです。もし、趣味が一致していれば、そこから有益な会話ができる大切な友人になることもあります。

子どもがおばあちゃんから人形をプレゼントされたら、すでにいくつか持っている人形をだれかにプレゼントすることを提案します。子どもが「イヤだ」と言ったら、世界中には人形どころか遊ぶ物をひとつも持っていない子がたくさんいることを話します。

遊ぶ物どころか、その日の飲み水せ何キロも歩いて汲(く)んでこなければならない子どもがいることも話します。

それでも「イヤ」と言っても、それで構いません。子どもの心にはその人形がどんなに大切かが刻み込まれることになるのです。