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【善意の連鎖ほど感動的なものはない】

連鎖反応というものは、うまく利用すればとても便利なものです。人の悪口を言えば、いつか自分に返って来るという話がありましたが、その反対に、人に対してよいことをしたり言ったりすれば、いつかそれが自分にも返ってくるものです。

子どものころに、きっと何度かこう言われたのではないでしょうか。「人が嫌がることをしたらいけませんよ。自分がして欲しいと思うことを人にしてあげなさい」ということばです。

これをみんなが実行すれば、世の中はずいぶん住みやすくなるのではないでしょうか。ようするに思いやりを持って人に接しましょうということですが、ボランティアと同様に、こういうこともあまりやりつけない人がいるようです。

たとえば、電車の座席をご年輩の方にゆずるというごく簡単な小さな親切も、なかなかお尻が持ち上がらない人がいるようで、見かねて比較的年輩の方が席を立ってゆずったりすることもあります。

道を歩くのにしても、狭い歩道いっぱいに三、四人の高校生が広がって談笑しながら、歩いているのを見かけますが、もう少しすれ違う人のことも考えてあげられれば、と思うことがあります。

かと思うと、スーパーの出入り口などで、自分が開けたドアをあとから入ってくる人たちのためにしばらく押さえている人もいます。

入店する人はあとからあとからきますから、どこかで手を離さなければいつまでも自分の買い物ができませんが、ずいぶん長く押さえてくれている人もいます。

エレベーターに乗ったときに、「何階ですか」と聞いて複数ボタンを押してくれる人や、みんなが降りるまで、ドアの「開」ボタンを押し続けている人もよく見かけます。

こういう人は、人のためになるちょっとしたことをいつも自然にしているのでしょう。

してもらった人が、「今度は自分がだれかにしてあげよう」と思うような簡単な善意、親切は、してあげたほうも気持ちがいいし、されたほうも、その日の一日気分がよくなるでしょう。

どんどん、そういう善意が連鎖反応のように広がっていけば、本当に、この世の中は居心地がよくなるはずです。

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【子どもたちの言う通りにしてみる】

— 子どもはときにはおとなより賢い —

子どもに対して、親としてまた、おとなとして接するときに、人によっては子どもたちをまったく一人前の人格とは見ていないことがあります。

小学校の先生でも、子どもの言うことにあまり耳を貸さない人と、よく意見を聞く人がいますが、これによって、子どもの成長の具合も違うだろうし、先生自身の成長も違ってくることは想像できるでしょう。

人の言うことをよく聞く人は、仕事でも人間関係でも、そして家庭でも尊敬され、ご意見番として扱われます。一方で人の言うことを聞かず、自分の意見ばかり通そうとする人は、ご意見番としては扱われないものです。

子どもの言うことにもこれがあてはまるのです。「負うた子に教えられる」ということばがありますが、子どもはおとなのすることをじつによく見ていて、おとながふだん言うことと、そのときやっていることが矛盾していたりすると、しっかり気づいて指摘したりします。

「負うた子」というところがミソで、背負われている子どもの視点からは、おとなの目線より足元や先行きがよく見えたりするのです。

そういうときに、おとなは「生意気なことを言うじゅないの」とか、「それはそれ、これはこれ」などと論理的でない言い方をしてしまいがちですが、あまりよい態度とは言えないでしょう。

子どもにとって疑問が残ることはあとあとよくありませんから、疑問が解けるように説明してあげるべきでしょう。

といって複雑なおとなの事情は子どもには理解できませんから、反対に、「どうすればいと思う?」と意見を求めるといいのです。子どもは一生懸命考えて、いちばんいいと思える方法を教えてくれます。

それが、意外にいい方法だったりします。今の子どもは、私たちが子どもだった頃と違って、テレビやインターネットで世界中の情報を仕入れていますから、子どもらしい柔軟な発想と、ユニークな考え方で問題を処理することができるのです。

家族で意見が分かれたときなども、「一日、子どもの日」を作って、子どもに家の中のことを仕切らせるといいでしょう。おとなの大変さもわかってもらえます。

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【キャンプに参加して日常をふりかえる】

–非日常を体験して日常に感動する–

日常が感動的でないのは、それが毎日続くからではありません。日常の有難さを忘れているからなのです。朝、暖かいふとんの中で目覚め、ポットのお湯でコーヒーを入れ、新聞を読みながらテレビのニュースを観る、そのうち、朝食のしたくもできる、そんな日常は、本当は感動の連続なのです。

その有難さを知るのに、適当なイベントとしてキャンプをすることなどはどうでしょう。キャンプ場には、水飲み場がある程度でその他に何もないところがベストです。

お湯がでたり、立派な水洗いトイレがあるところは不適当。便利すぎるからです。

キャンプ場に到着すると、まずその日の寝場所を確保しなければなりません。柱を立てるために、地面をうがち、テントを拡げ、雨水が流れ込まないようにテントのまわりに溝を掘らなければなりません。

それから食事の支度をしていたら間に合わないので、同時進行で子どもたちは料理をします。自分たちの食事がなくなっては大変なので必死です。火を起こし、水を運んできて、火加減を調整し、同時に材料を用意し料理します。

そうこうするうちに暗くなるので、ランタンを点けたり、天気の確認をしなければなりません。そこに、蚊などの虫がやってくれば蚊取り線香や殺虫剤も必要です。虫よけスプレーも不可欠です。

みんなでカードゲームをしたり、話をする時間が取れればしめたものですが、たいてい、疲れ切ってすぐに寝てしまいます。

夜中も快適とは限りません。思ったより冷え込んだり、雨が降ればテントに当たった雨音がうるさくて眠れません。朝方の冷え込みも心配です。

朝ごはんも最初から火を起こし、手分けして調理などの作業をし、食べ終わったら続いてテントの撤収です。燃えかすやゴミのあと始末も忘れずにします。

二日ともなると、自宅のお風呂が恋しくなることうけあいです。

キャンプでこうした不便さを体感すれば、日常の生活がどんなに有難いかわかるかというわけです。

キャンプから家に戻ったときにすることは、シャワーを浴びて、冷えた飲み物を飲み、ソファーやベッドに身を沈めること。

そう、毎日やっていることなのです。