
ジョギングが下火になってからは、ウオーキングに励む人を多くみかける。腕を直角に曲げて大きく振り、分速100~150メートルもの速さでさっささっと歩く。散歩とか通常の歩行と違う一種のフィットネス・プログラムだから、10分ウォーキングをすると、もう汗ばむほどだ。
ウォーキング・エクササイズは、体には大変に良いと聞く。だが、いつでもどこでもというわけにはなかなかいかないのが難といえば、難である。
脳への日常的な刺激を考えると、散歩や通常の歩行をひと工夫しても、充分な効果があるのではないだろうか。
中京大学体育学部の藤原健個教授は「歩き学」の実践者であるが、体験的に掴んだ歩くこと脳への効果は、次の四点だという。
記憶力を高める
思考力を高める
ひらめきが得られる
集中力を高める
なぜマンネリ発想を「体質改善」出来るのか
大事なことは、ただぼんやりと漫然と歩くのではなく、「求めて」歩くことだそうだ。たとえば記憶力を高めるために歩くのであれば、英語のテープを聴きながら歩き、覚えようとするとすることである。
また、ひらめきや問題解決のために歩くときでも、やはりその問題を考え、着想を練りながら歩くわけだ。
昔から、馬に乗っているとき、トイレ・タイム、風呂や練る前のリラックス・タイムに意外は意外なアイデアがひらめくという
しかし、ときには入浴時間も惜しく、疲れきってばったり眠るようなせわしない現代では、歩行中こそ発想を生む黄金の時間だと、私はいいたい。
じっさい、発想につまったとき、思いきって机から離れ、用事がてがら歩いていると、パッと解決策がひらめいた経験をもう人が多いはずだ。
だから作家は頭が疲れ、アイデアが浮かばなくなると書斎を出て、散歩にでかける人が多いのである。
「いい歩き方」がもたらす三つの改善
私も、歩くことを好むことはなはだしい人間である。それも、決まり切った道を漫然と歩くのでなく、楽しんで歩く。
たとえば、新規開拓の店を見たら、「あぁ私だったらインテリアはこんなふうにして看板はオレンジ色にするのだがな」などと、店主になったつもりであれこれ創造してうれしがる。いつも家並みの一軒のようすが変わっていたら、「玄関の鉢植えがずいぶんふえた。息子さんが嫁さんをもらったのかもしれない」と類推してみる。
歩くことは、三つの点から脳にいいといえる。
まず、先述のように、筋肉の中でも相当部分を占める脚の筋肉が、歩くことでパルスを発し、それが脳運動野なみならず全体を刺激する。
また、適度な全体運動によって血行がよくなり、脳にも新鮮な酸素が送り込まれる。これがエクササイズだと、筋肉のほうに血液が回ってしまう。またきわめて激しい運動だと、POMCが分泌され、脳内のエンドルフィンやドーパミンが増加して、脳は快感を感じるようになることは述べた。
さらに、歩くことで、五感が活性化する。で風景や人の顔を見、耳で街の音や話し声を聞き、鼻で風の匂いや料理の匂いをかぐ。足の裏は無意識に地面に地面のようすを感知し、肌も多くの情報を受け取る。
これが総合して、脳を活性化するのである。おそらく凹凸の多い場所を歩けば、足の裏のツボが刺激されて脳に伝わるということもあるのだろうが、私は門外漢で。歩くことでリラックスする、それだけで充分に楽しいのである。
だから、同じ道でも行きと帰りで反対の歩道を通ったりする。
たまにはひと駅まえで降りて、不慣れな道をたどるのも、まったく苦にならないわけなのである。
89歳で「健脳」だった母輝子のケース
歩くということで思い出すのは、私の母、輝子である。
母は、後述するように、自己顕示性格が25%、同調性格42%で神経質性格0%という、非常にものごとををはっきりズバズバいう行動的な性格。
年を取ってもしょっちゅう出歩いた。たんに歩くのではない。世界中を旅するのだ。
「私はもうまもなく死にます。生きているうちにどこそこへ行きたい」が口癖で、ついには南極やエベレストにまで出かける始末だった。80歳のときである。
その母が、晩年にモンゴルを旅行中、超閉鎖を起こして、旧ソ連のイルクーツクへ運ばれたことがある。緊急手術を受け、命にもかかわりかねない事態だったので、私と娘は急遽イルクーツクへ飛んだ。
母は一命を取りとめたが、そのまま当時で一か月近くも入院するはめになってしまう。ようやく日本に帰るという日、イントウリスト(交通公社)の若い職員が空港まで見送りに来てくれて「さよなら」と手を振った。母は彼に対して言った。
「またちょいちょい来るわよ!」。異郷の旅先で、死ぬかもしれない大病を患って入院手術すれば、もう旅はこりごりと思うのが、普通ではあるまいか。
そして本当に、体力が回復すると、母は次なる旅に出かけたものだ。
母は、私が海外に行くときは、いつも「私が死んでも帰ってきちゃだめ。帰ってきたて生き返るわけじゃなし。仕事をきちんとすませてから帰りなさい」と、およそ普通の母親感情とはかけ離れたことをいっていた。
もちまえの性分とはいえ、つねに外へでて、自分の足を使って歩いた母だったからこそ、いつまでも若々しいかったのではないだろうかと思う。
その母は89であの世へいった。
ガンには勝てなかった。解剖したら、脳はまだ若々しくしっかりしていた。